憲法改正第2弾! 護憲派による “権力をより強く縛る憲法草案” の起草は可能なのか

社会

憲法改正第2弾! 護憲派による “権力をより強く縛る憲法草案” の起草は可能なのか
【はじめに】
昼から生でガチバトル(ヒルガチ)は実在しない架空の番組です。

すべてゲンカイモンが創作したものであり、実在する人物、団体、書籍とは一切関係ありません。

ただし、内容は参考文献に基づき正確性を期すよう、細心の注意をはらい制作しています。

初めて訪問された方は「ヒルガチの歩き方」をご覧ください。

より深くヒルガチをお楽しみいただけます。

なお、お断りしない限りすべての画像はAIで作成しています。

イメージとして掲載していますが放送内容と直接の関係はございません。

テレビの前のあなた、こんにちは。

エグゼクティブ・プロデューサーのゲンカイモンです。

前回のヒルガチ「憲法改正、是非論からの脱却! 二項対立を乗り越えた先に見える日本の未来」https://hirugachi-tv.com/kenpou/
の放送後、番組宛に一通の非常に鋭いメッセージが届きました。

後ほど田川さんが原文を紹介しますが、この本質的な問いはこれまでの「改憲=権力の拡大」「護憲=現状維持」という硬直した二項対立を見事に打ち破るものです。

憲法は国家権力を縛る鎖や檻に例えられます。

ならば護憲派こそ、その鎖と檻の強度を現代に合わせ、より強固にするための憲法改正案を提案すべきでないのか。

現状維持に固執せず、今以上に権力を強く縛る改正草案を起草すべきという逆転の発想です。

護憲派を改憲派へと引き込む巧妙な論理に、思わず「うーん、そう来たか」と私は唸ってしまいました。

私自身が完全に欠落していた視点です。

本日はこの視聴者様からのメールを中心に立憲主義の真髄に迫ります。

田川さん、後は頼みました。

最後まで宜しくお願いします!

 
田川
ゲンカイモンさん、後はおまかせ下さい。

テレビの前のあなた、ジャーナリストの田川福三郎です。

さっそくですが、本日のテーマを発表します。

憲法改正第2弾! 護憲派による “権力をより強く縛る憲法草案” の起草は可能なのか
本日は前回に引き続き、阿久津 守さんと佐々木 結さんをお迎えし、タブーなき憲法論の第2弾をお送りします。

阿久津さん、佐々木さん、本日も忌憚ない意見を期待しています。

 
阿久津
阿久津です。

本日は「立憲主義のアップデート」という観点から、非常にスリリングな議論ができそうです。

よろしくお願いいたします。

 
佐々木
こんにちは、佐々木です。

前回に続きお呼びいただいたのは光栄ですが、田川さんが発表したテーマのタイトルにビックリしています。

私は護憲の立場に変わりはありません。

真正面から論じさせていただきます。

 
田川
こちらこそ、宜しくお願いします。

佐々木さんに対して、ちょっと挑発的なタイトルかもしれませんね。

そんな意図はありませんが……(笑)。

それでは大鷹さん、本日の議論のポイントを教えて下さい。

 
大鷹
はい。

本日の論点は、番組宛に届いた視聴者様からのメッセージに基づき構成しました。

それでは論点フリップをご覧下さい。

【権力をより強く縛るための論点】
立憲主義の確認:憲法は国民を縛るのではなく国家権力を縛る法規である
制定権は国民にあり: 国会が草案を提案する権利(発議権)を持つが、最終的に決める権利(制定権)は国民(国民投票)にある
違和感:憲法改正を議論する国会議員への、「整合性がない」という護憲派の批判に対する違和感
自民党案の限界:国家権力を縛るという憲法の概念から考察する改憲4項目の危うさ
護憲派への提言:権力をさらに強く縛るための憲法改正という逆転の発想とその可能性

田川さん、論点は以上です。

なぜ国会議員は憲法改正の権利がないのか! 立憲主義から考察する素朴な違和感の正体

 
田川
まずは、視聴者から寄せられた素朴な違和感から議論をスタートさせたい。

大鷹さん、メールを紹介して下さい。

 
大鷹
はい、田川さん。

放送終了後、一通のメールに目が留まりました。

少し長いですが、ノーカットで読ませていただきます。

ペンネーム、アンタッチャブルさんから。

『アンタッチャブルと申します。

先週の放送を視聴中、気になる事があったのでメールさせていただきました。

私は改憲派ですが、「権力者が自分らの都合よく憲法を変える懸念がある。

だから改正には反対なのだ」と護憲派の方は言います。

この意見にはいつも、素朴な違和感を覚えていました。

なぜ、国会議員が憲法について議論してはいけないのか……と。

都合がよいか悪いかはともかく、例えば、自民党改憲4項目はあくまで党内での議論です。

議論するのは自由でしょう。

よく考えてみて下さい。

国会議員は我々が選挙で選んだ国の代表です。

改憲の発議https://laws.e-gov.go.jp/law/321CONSTITUTION#Mp-Ch_9-At_96
ができるのは国会です。

憲法改正は衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成で発議され、国民投票において過半数の賛成を必要とします。

つまり、憲法の改正には国民とともに、権力側の国会議員が関わらざるを得ないのです。

そこで、護憲派の方にひとつお聞きしたいことがあります。

都合よく変えられてしまうのが心配ならむしろ改憲に反対せず、『権力を現在よりもさらに強く縛る』という立憲主義の理念に基づく改正草案を起草するべきではないでしょうか。

現状維持では何も解決しないと思います。

アンタッチャブルさん、ありがとうございました。

田川さん、こちらからは以上です。

 
田川
大鷹さん、ご苦労さま。

アンタッチャブルさん、とても興味深いメール、どうもありがとうございます。

立憲主義の理念を実現するとても建設的な意見だと思います。

護憲派の方はアンタッチャブルさんが指摘する通り、「権力者である国会議員が、自らを縛る憲法を自らが書き換えるのは整合性がない」と主張します。

私も過去にお会いした護憲派の議員から、同じセリフを多くの方からお聞きしました。

しかし、自民党に限らず、国会議員は私たち国民が選挙で選んだ代表者。

当選する前はごく普通に憲法談義をしていた人間が、議員になった途端に憲法改正の議論をする権利や正当性を失ってしまう。

このような護憲派の言説に対し、素朴な違和感を覚えるというアンタッチャブルさんのメール。

佐々木さん、アンタッチャブルさんの違和感にどうお答えしますか。

 
佐々木
アンタッチャブルさん、本質を突くメールをお送りくださりありがとうございます。

結論から先にお伝えすると、日本は立憲主義だからです。

権力者、この場合は国会議員ですが、彼らの権力を制限するのが立憲主義の理念です。

とは言え、あなたの素朴な違和感は理解します。

「国民に選挙で選ばれた国の代表なのだから、改憲について議論して何が悪い」

民主主義の論理ですね。

ただし、立憲主義において法律と憲法は決定的に命令の対象が異なります。

法律は国民に対し命令する、憲法は国家権力に対し命令するものなのです。

参議院の憲法審査会がまとめた日本国憲法に関する調査報告書の第3部の2、「憲法の本質的役割」
https://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/houkokusyo/houkoku/03_02_01.html
にこうあります。

「近代憲法は基本的には権利の章典と統治機構に関する規定により構成されるが、最も重要な特質は、(1) 内容的には自由・人権の基礎法であること、(2) 法的性格としては、国の最高法規であり、法体系の頂点に立って国家権力の恣意的発動を制約する「制限規範」としての意味を持つことである。

「国家権力の恣意的発動を制約する制限規範」

まさにこの文言が憲法の目的を表しています。

そして、国会議員は憲法の枠組みの中から生まれた「作られた権力」であると、聖職者であり政治家のエマニュエル=ジョゼフ・シェイエス(Emmanuel-Joseph Sieyès 1748年5月3日生1836年6月20日没)は提唱しました。

彼は「憲法制定権力」と「憲法により作られた権力」との相違を明確に定義した人物として有名です。

シェイエスは1789年刊行の著作「第三身分とは何か?」https://www.iwanami.co.jp/book/b248731.htmlで、憲法制定権力の概念を以下①から③のように定義しています。

①憲法制定権力とは憲法を作る力であり、あらゆる実定法を超越して存在する、国民の始源的な力である
シェイエスは憲法は「作られたもの(pouvoir constitué)」であり、憲法を作る力が憲法制定権力と定義した。

憲法が作られる以前に国民が存在し、自らを統治するための法規として国民が憲法を作る。

そのため、憲法制定権力は憲法の規定や現行のあらゆる実定法を超越した始源的、根源的な力であると論じた。

②憲法制定権力を行使し憲法を作れるのは国民だけである
シェイエスは憲法制定権力は国民のみに属すると強調した。

すべての国民が等しく社会の構成員であるという立場から、憲法を制定できるのは社会の総体である国民以外にあり得ないと考えた。

③国民の意思は絶対であり、国民が行使する憲法制定権力はいかなる実定法にも拘束されず、その憲法を自由に変更、改正ができる。

シェイエスは「国民は憲法に従属しない。

従属し得ない」と明言している。

国民は「作られた憲法」に縛られない。

国民はいつでも必要に応じ憲法を廃止、あるいは改定する絶対的な権限を有すると論じた。

国会や内閣などの国家機関は憲法により「作られた権力(存在)」であるため、その権限は憲法の枠内に限定される。

これらシェイエスが提唱した憲法制定権力の概念が近代立憲主義の基礎となっている

権力者が自らを縛る鎖を自ら緩めようとする。

これは、産んでもらった子ども(権力者:国会議員)が産んでくれた親(憲法)を、自分の思い通りに操作しようとするようなもの。

立憲主義の理念に背く自己矛盾であり、権力の暴走を招く最大のトリガー(引き金)になり得る。

だから護憲派はその行為に対し、立憲主義の理念上「整合性がない」と批判するのです。

 
阿久津
シェイエスが唱える、「作られた権力」である国会議員が「憲法制定権力」を持ち得ないという概念は私も認識しています。

しかし、現実の改正手続きからは乖離しているのではないでしょうか。

日本国憲法第96条は、国会に「発議権」を与え、最終決定権を「国民投票」に委ねています。

国会はあくまで、憲法の草案を練り上げるだけであり、最終的な「憲法制定権力」の行使(国民投票)は国民が行う。

この信託論理がある限り、国民の代表たる国会が改正手続きを担うのは間接民主制において必然です。

「権力者は信用できないから議論すらするな」というのは、2つの意味で民主主義を否定しています。

ひとつは、選挙で選んだ国民の代表である国会議員の「発議権」を認めていない。

ふたつに、主権者である国民が持つ「憲法制定権力」、すなわち国民投票の力を軽視している。

佐々木さん、近代民主主義を冒涜していることに気づいて下さい。

 
田川
なるほど。

少しわかったことがあります。

佐々木さんは「権力は必ず腐敗し暴走する」という根源的な権力への不信を警戒している。

一方、阿久津さんは「代表制民主主義の熟議のプロセス」を信頼している。

まさに、「不信」と「信頼」が真正面から衝突している状態だ。

互いを相容れないこのすれ違いが、日本の改憲論議がずっと噛み合わなかった正体のような気がします。

護憲派の本音! 権力をさらに強く縛る憲法草案を起草しない理由

 
田川
次に、本日最大の論点です。

アンタッチャブルさんのメールの核心部分。

「護憲派の方にひとつお聞きしたいことがあります。

都合よく変えられてしまうのが心配ならむしろ改憲に反対せず、『権力を現在よりもさらに強く縛る』という立憲主義の理念に基づく改正草案を起草するべきではないでしょうか。

現状維持では何も解決しないと思います」
佐々木さん、この指摘は極めて鋭い。

護憲派も「憲法制定権力」を持つ国民です。

権力の暴走を防止するために「現状維持」ではなく、「もっと強固な鎖」を作るための改正草案を対案としてなぜ起草しないのか?

 
佐々木
……(少し息を呑む)
非常に痛いところを突く本質的なご指摘です。

確かに、理論上は「より強く権力を縛る憲法改正」はあり得ますし、立憲主義の理念とも完全に合致します。

しかし、現実の政治力学を想像してください。

国会で圧倒的な力を持つのは時の政権与党です。

現在(2026年)は高市総理の自民党です。

もし、我々が「より強く縛るための改正草案」を提案し、禁断の扉を開いてしまえば、そのプロセスは必ず権力者側に都合よくすり替えられるでしょう。

「縛るつもりがいつの間にか権限拡大の片棒を担いでいた」
このような事態を我々は最も恐れる。

それゆえ護憲派は、「一文字たりとも変えさせない」という、防衛的な現状維持を選択せざるを得ないのです。

 
阿久津
佐々木さん、今の弁明はとても苦しい。

反論にもなっていない屁理屈です。

完全なる政治的敗北ですよ。

アンタッチャブルさんの提案は憲法論議を、これまでの「権力拡大の是非」という不毛な対立から、護憲派による「権力制限の強化」という新次元に押し進める見事な発想の転換です。

歴史的に憲法は、「権力の暴走から国民を守るための鎖」であり続けたのは佐々木さんご指摘の通り。

どんなに素晴らしい人格の指導者であろうと、権力を手に入れた者は権力を濫用するという「性悪説」に立つならば、時代の変化に合わせ「鎖の強度を高める作業」こそが真の立憲主義です。

護憲派が「改憲イコール悪」と思考停止に陥るのではなく、「自民党案よりも国民を強力に守るための改憲案」を対案として起草する。

これこそが、立憲主義に則る民主主義を成熟させる理想の姿ではありませんか。

自民党改正案のここが問題! 立憲主義の視点から改憲4項目の危うさを炙り出す

 
田川
自民党の名前が出ました。

自由民主党の改憲4項目
https://www.jimin.jp/kenpou/proposal/?id=wants-02
を「権力を縛る鎖」の視点から考察したい。

自由民主党の改憲4項目素案

①9条改正

第9条の2
第1項
前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

第2項
自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する
※第9条全体を維持した上でその次に追加

②緊急事態条項

第73条の2
第1項
大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

第2項
内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

※ 内閣の事務を定める第73条の次に追加

第64条の2
大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙、又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるとき、国会は法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

※ 国会の章の末尾に特例規定として追加

③参院選「合区」解消

第47条
両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。

参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。

前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第92条
地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。

④教育の充実

第26条(第1,2項は現行のまま)
第3項
国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。

第89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

『産経新聞自民党大会「改憲4項目」条文素案全文』から引用
https://www.sankei.com/article/20180325-4JNSZD6FAJLDLKCEN4652L4W7A/

 
田川
阿久津さん、改憲派の立場として、これら改憲4項目の鎖としての強度はいかがですか?

 
阿久津
改憲派である私から見ても立憲主義の厳密な意味において、これらは「権力を縛る鎖」の役目を果たしているとは言えません。

単に、統治機構の「機能強化、効率化」を意図しているだけです。

例えば「緊急事態条項」。

これは大規模災害時に内閣の権限を一時的に強化する規定です。

行政の迅速な対応のためには必要ですが、立憲主義的には「権力への白紙委任」につながるリスクを孕んでいる。

また、「自衛隊の明記」は防衛省が『憲法と自衛権』https://www.mod.go.jp/j/policy/agenda/kihon02.html
で説明しているように、現行憲法下で自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と位置づける見解を維持しつつ、違憲論争を終わらせる安定化が目的です。

ただし、軍事的実力組織の存在を明記することで、新たな問題(集団的自衛権、シビリアンコントロール、東アジア情勢の不安定化など)が噴出する懸念があります。

自衛隊の海外での活動にまったく言及していないのも問題です。

第2項に「国会の承認その他の統制に服する」とありますが、「制限規範」として具体性がなく弱すぎます。

 
佐々木
改憲派の急先鋒である阿久津さんがここまで踏み込んで、4項目の不備を明確に指摘されるとは思ってもいませんでした。

素直に敬意を表します。

自民党の4項目は国民の自由を守るためでなく、政府がいかに効率よく統治の便宜を図るかという「権力側のロジック」で作られています。

そこに危機感を抱き、「整合性がない」と私たち護憲派は反発するのです。

権力者が危機管理の名の下に、自由に動けるようにするためのルール変更は、縛るどころか鎖をほどく「権力の拡大」でしかありません。

 
田川
なるほど。

自民党の4項目は「鎖の縛りを緩める」作業であって、「鎖を締め直す」作業ではないということか。

佐々木さんたち護憲派に「整合性がない」と言われても当然というわけだ。

佐々木がまさかの改憲派へ心変わり? 護憲派が起草する “権力をより強く縛る改憲案” の具体例

 
田川
では、阿久津さん、佐々木さん、おふたりにお聞きしたい。

アンタッチャブルさんの提案に倣い、立憲主義に基づき「権力をさらに強く縛る鎖」という視点から自民党の改憲4項目を書き換えるとしたら、どのような内容になりますか?阿久津さんには自衛隊明記と合区解消についてお願いしたい。

 
阿久津
わかりました。

まず自衛隊という巨大な実力組織を憲法に位置づけるのであれば、現状追認で終わらせてはいけません。

同時に「海外での武力行使の永久放棄」や、AI時代に対応すべく「防衛組織による国内の情報収集活動への強力な制約」をセットで書き込みます。

軍事的組織が越えてはならない一線を、内閣の解釈に委ねるのではなく強く縛る条文を加えます。

さらに「合区解消(地方自治)」については、総務省の「参議院選挙区選出議員の選挙区及び定数の改正等について」https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/senkyo/san_gouku/
でも課題とされている、最高裁判所が度々『違憲状態』と指摘してきた一票の格差問題を踏まえ、単に国会議員の選挙区をいじるのではなく「中央集権の打破」として国を縛ります。

総務省が毎年公表している「地方財政白書」https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/hakusyo/chihou/r07data/2025data/r07czb02-02.html
によれば、地方公共団体の歳入に占める地方税の割合は依然として十分とは言えず、国からの交付金等に依存する構造が続いています。

そこで、国が地方の財源や権限を奪うことを禁じる条文を設けると同時に、時の権力者による恣意的なゲリマンダー(都合の良い選挙区割り)を防ぐため、一票の格差に関する客観的かつ厳格なルールで縛ります。

 
田川
なるほど、よくわかりました。

次に、佐々木さんには緊急事態条項と教育無償化についてお願いしたい。

 
佐々木
番組タイトルの意味がやっとわかりました。

これを私にやらせたかったのですね。

 
田川
あははは……佐々木さん、ごめんなさい。

悪気はありませんが、どうしてもダメなら強制はしませんよ。

 
佐々木
しかたありません、やらせていただきます。

田川さんの頼みなら……書くしかありませんね(笑)。

もし、政府がどうしても緊急事態条項の条文を書きたいなら、権限の強化ではなく制限を明記します。

「いかなる緊急時であっても、司法による行政の職権停止権限を絶対化する」「個人の尊厳を侵す私権制限や、国会の機能停止は絶対に認めない」などの、例外を許さない「ブレーキに特化した緊急事態条項」です。

そして「教育無償化」ですが、文部科学省が公表している「OECD教育指標」https://www.oecd.org/ja/publications/2025_e4cdb074-ja/c78ac36e-ja.html
を見ても、日本の公財政教育支出の対GDP比は3.0%とOECD平均4.3%に比べ低い水準にあり、国家的な支援は急務です。

しかし、国が教育予算を完全に握れば、時の政権による教育内容への介入リスクが極めて高まる。

これを明記するなら完全にセットで衆議院憲法審査会の『「公共の福祉(特に、表現の自由や学問の自由との調整)」に関する基礎的資料』https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/ca7ea3d8e4f9aca249257c9e000df5c8/df6de145c84701f249257cac0048352f/$FILE/shukenshi046.pdf
でも絶対不可侵とされている憲法第23条の理念を反映し、「国家はいかなる理由があろうとも、教育の内容や学問の自由、個人の思想に干渉してはならない」という、国家の教育統制を絶対的に禁じる条項を設けます。

日本国憲法
第二十三条
学問の自由は、これを保障する。

国家に「お金は出させるが口は出させない」という強力な縛りです。

以下は自民党改憲4項目を「権力をさらに強く縛る鎖」の概念を適用したヒルガチ憲法草案

【阿久津草案】
第9条の2:自衛隊の統制と監視

【狙い】
自衛隊の明記と暴走の抑止の二段構え(従来の9条は保持したまま第9条の2として1項から5項を追加)

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

国の交戦権は、これを認めない。

第九条のニ
前条の平和主義の理念を尊重しつつ、我が国は、我が国の平和と独立を守り、国民の安全を確保し、及び国際社会の平和と安定に寄与するため、自衛隊を保持する。

② 自衛隊は、法律の定めるところにより、内閣総理大臣を最高指揮権者とする内閣の統制の下に置かれる。

③ 自衛隊の武力行使は、我が国に対する武力攻撃が発生した場合、及び国民の生命、財産、自由が著しく侵害される明白な危険がある場合に限定する。

海外における武力行使は永久にこれを放棄する。

ただし、自衛隊員の生命を守るための必要最小限の防衛行為はこの限りではない。

④ 国際貢献活動は、法律の定めにより、国会の承認を経て行うものとする。

⑤ 防衛や治安維持のための情報収集は、個人のプライバシーを不当に侵害してはならない。

プライバシーに関する適正手続、及び監視の仕組みは、法律でこれを定める。

【阿久津草案】
第47条・第92条の2:選挙と自治の確保

【狙い】
合区解消と地方自治体の独自性の尊重

第四十七条
両議院の選挙の定数配分は、人口を基準とする。

ただし、参議院においては、都道府県の区域を尊重し、各都道府県から少なくとも一人の議員を選出するものとする。

② 前項の規定による配分に伴う投票価値の格差については、都道府県の代表制を維持するために必要な範囲内において、これを許容する。

第九十二条の二
国は、地方公共団体の自立的な運営を保障する。

② 国は、地方の自主財源、及び自治権を不当に侵害してはならない。

国による財政支援は、地方の自律を損なう特定の政策誘導を目的として行ってはならない。

③ 国が法律に基づき、地方の財源や権限を制約する場合は、その必要性及び期限を明記しなければならない。

④ 前項の制約に関し、地方公共団体は、第三者機関に対し異議を申し立てることができる。

法律は、当該機関の審議及び決定の手続きを定め、国に対しその尊重を義務付けるものとする。

【佐々木草案】
第73条の2:緊急事態の統制

【狙い】
緊急時の効率と恒久化の阻止

第七十三条の二
大規模な災害その他法律の定める事態により、国会の召集が物理的に不可能であるときは、内閣は、人命の救助、及び公の秩序の維持に必要な最小限度の範囲内で、緊急政令を制定することができる。

② 前項の緊急政令は、発布から三十日を経過したときは自動的に失効する。

内閣は、発布後速やかに国会を召集し、その承認を求めなければならない。

承認が得られない場合、当該政令は直ちにその効力を失う。

③ 緊急事態においても、思想及び良心の自由、適正手続の保障、並びに拷問の禁止は、いかなる場合も侵されない。

④ 内閣の措置が憲法又は法律に違反する疑いがある場合、最高裁判所は、緊急審査手続に基づき、当該措置の適法性を速やかに判断し、必要に応じその効力を停止させる権限を有する。

【佐々木草案】
第26条の2:教育の無償と独立

【狙い】
予算の拠出と介入の切り離し

第二十六条の二
国は、高等教育を含む教育の機会均等、及び教育水準の向上を保障するため、必要な財政上の措置を恒久的に講じなければならない。

② 教育行政は、学問の自由及び思想、信条の自由を尊重し、いかなる政治的、宗教的干渉からも独立して行われなければならない。

③教育目標の策定に当たっては、国は、中立的かつ多元的な専門家による公開の審議を経なければならない。

④ 教育の内容、及び指導に関する介入は、法律に基づく場合に限り、且つ教化や特定の政治的信条の誘導を目的に財政的手段を用いてはならない。

 
田川
阿久津さんと佐々木さんの草案を条文化してみました。

これらが『権力をさらに強く縛る鎖』を適用したヒルガチオリジナル憲法草案です。

自民党案と同じ4つのテーマを扱っていながら、そのベクトルが180度異なっていることが、テレビの前のあなたにはおわかりいただけると思います。

ところで佐々木さん、うふふふ……少し意地悪な質問をしてもいいですか?

 
佐々木
はい、何でしょう。

 
田川
『一文字も変えてはならない』と主張してきた護憲派のあなたが、2項目とはいえ憲法改正の条文を書いてしまいましたね(笑)。

このご自身の変化をどう自己分析されますか?

 
佐々木
(苦笑しながら)頼んでおきながら、本当に意地悪ですね。

田川さんでなければお断りしていましたよ。

これはけして自己矛盾ではありません。

国家権力が危機管理の名目で、際限なく国民を管理(マイナンバーカードなど)しようとする現代において、立憲主義の理念を守るために『鎖を鍛え直し強度を上げる』必要があるならば、それを躊躇なく実行することこそが「究極の護憲」なのかもしれません。

私が護るのは「条文の文字」ではなく、「立憲主義の理念」だと再認識しました。

 
阿久津
素晴らしいですよ、佐々木さん。

それこそが日本の憲法論議が到達すべき建設的な姿です。

護憲派がただ反対と叫んで殻に閉じこもるのではなく、「個人の尊厳を守るために権力をこう縛る」と強烈な対案を改憲派へ突きつける。

そうすることで我々も、「権力を抑制する強力な条文を組み込まなければ国民の賛同は得られない」と護憲派に歩み寄らざるを得なくなります。

「改憲か護憲か」という古いイデオロギーの壁が崩れ、どうすれば国家の暴走を防止できるのかについてともに考える。

「立憲主義を前提にした民主主義における熟議」の夜明けのような、すがすがしい気持ちで一杯です。

阿久津としては、佐々木さんに完全に一本取られた心境ですよ(笑)。

 
田川
おふたりの建設的な対話により、本日のテーマが完璧に次の段階へと歩を進めました。

憲法を変えるか護るかの単純なニ項対立から脱却し、「国家という巨大な怪物の力を私たちの自由にいかに干渉させず、怪物から国民をどう解放させるか」という共通の目的に突き進む、護憲派と改憲派の共闘が実現する新たなフェーズへの進展。

一人の視聴者の方から寄せられた「護憲派こそ権力をより強く縛る改正草案を起草するべき」という提言が、改憲派と護憲派の間に立ちはだかるぶ厚い壁を打ち破り、21世紀の立憲主義の扉を開いてくれました。

「憲法制定権力」を活かすも殺すも私たち国民にかかっています。

憲法をより強く縛りつける最強の鎖は、護憲派と改憲派を交えた「絶え間ない対話」であるとの結論に至りました。

阿久津さん、佐々木さん、2週続けてヒルガチしていただきありがとうございました。

そして、お疲れ様でした!

ヒルガチ名誉顧問、哲学者ソクラテスの私ならこうする!

 
田川
さて、ここからはヒルガチの看板コーナーです。

恐子さん、今日もよろしくお願いします。

 
恐子
おばんです、田川さん。

いやぁ、阿久津さんと佐々木さん、田川さんに頼まれてすぐに新しい条文作れるなんて、まっごどたまげたよ。

「権力を縛る」って口で言うのは簡単だげど、具体的に書くと現実みがあるな。

この新しい草案をソクラテスの爺さんがどう見るか、早速呼んでみるべ。

名誉顧問よ、降りてきてけろ。

(恐子が祈祷を始め、声色が変わる)

 
ソクラテス
田川よ。

今日は広場に太く、強靭な「鎖」が持ち込まれたようだな。

 
田川
ソクラテス。

阿久津さんと佐々木さんが起草した、権力をさらに強く縛るための新しい憲法草案です。

権力の暴走を封じるこの鎖をソクラテス、あなたならどう評価しますか?

 
ソクラテス
うむ。

彼らは「国家」という名の巨大な怪物を統制するため、極めて理にかなった堅牢な鎖を設計した。

法によって権力の牙を抜き、非常時であっても正義を失わぬよう釘を刺すその知恵は、大いに称賛されるべきであろう。

だが、田川よ。

一つ問いたい。

 
田川
何でしょうか。

 
ソクラテス
いかに檻を頑丈にし、鎖を太くしたところで、その鎖の端を握っているのは誰だ?

 
田川
それは、主権者である私たち国民です。

 
ソクラテス
うむ。

ならば想像してみよ。

鎖を握る者たちが、日々の生活にかまけ、政治から目を背け、怪物の動向に無関心になり、鎖を握ったまま眠りこけてしまったらどうなる?

 
田川
鎖を握る者が力を緩めればいくら強靭な鎖であっても、怪物は鎖ごと私たちを引きずり回すでしょう。

最悪の場合、その鎖は怪物に奪われ、国民を縛り上げる道具にされるかもしれない。

 
ソクラテス
うむ。

汝らは、「いかなる法を作るか」という問いにおいてひとまず答えを出した。

しかし、真の問いはその先にある。

汝ら市民はその重い鎖を常に握りしめ、怪物を監視し続けるだけの「徳(アレテー)」と「覚悟」を持っているのか?法がどれほど完璧であろうと、魂の腐敗した市民の手にあれば、それは自らを縛る縄に得るやもしれぬ。

 
田川
憲法という条文の強さだけでは不十分で、それを運用し、監視する国民自身の「魂の質」が問われるということか。

 
ソクラテス
うむ。

名誉顧問、ソクラテスの私ならこうする!

鎖を握る汝ら自身の手を鍛え、魂を磨き続けること。

政治を語ることを恐れず、常に権力を疑い、そして己の無知を自覚すること。

優れた鎖を設計したことに満足し、広場での対話を止めてはならん。

それこそが、国家という怪物を真に制御する唯一の道であるのだから。

 
恐子
「霧晴れて見えぬ道ここに現れん!」

 
田川
恐子さん、ソクラテス、今週もありがとう。

憲法は権力を縛るものであると同時に、「この重い鎖を握り続ける覚悟があるか」と迫る、私たちの魂への強烈な挑戦状でもありました。

憲法制定権力を保持する者の、まさに責任と義務が問われています。

完璧な憲法を作ることがゴールではない。

重い鎖を握り続けるために「当事者意識」を忘れないよう、これからも対話を続けていきましょう。

本日はここまで。

また来週、お会いしましょう。

【ゲンカイモン総括】
テレビの前のあなた、いかがでしたか。

本日の議論は、一人の視聴者様から寄せられた「護憲派こそ権力をさらに強く縛る憲法改正案を提案すべきではないか」という、これまでの憲政史上の常識を覆す一つのメールから始まりました。

このクリティカルな思考から生まれた問いが、「改憲イコール権力の拡大」「護憲イコール現状維持」という私たちが長い間、囚われてきた硬直するニ項対立の高い壁を崩壊させる瞬間をあなたと私は経験しました。

国家という怪物の暴走からいかに個人の尊厳を守り抜くか。

この一点において二人の知性が共鳴し、これまでにない新しい憲法草案を生み出したのです。

これは、日本の民主主義が新たな次元へと踏み出す、非常にスリリングで希望に満ちた対話でした。

しかし、番組の最後にソクラテスが私たちに突きつけた問いを、決して忘れてはなりません。

「鎖を握る者たちが眠りこけてしまえば、怪物は鎖ごと私たちを引きずり回す」
どれほど精緻で強固な「権力を縛る法」を作ったとしても、それを運用するのは人間であり、監視するのは主権者である私たち国民です。

現在、総務省や文部科学省が連携して『主権者教育の推進』https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/ikusei/1369165.htm
に力を入れているのは、自ら考え判断する国民を育成するためです。

私たちが政治から目を背け、「誰かがやってくれるだろう」と思考を放棄した瞬間、その太い鎖は権力者に奪われ、私たち自身を縛り上げる道具へと変貌するでしょう。

立憲主義とは完成された理念ではなく、私たちが常に権力を疑い、自らの自由を守るために「重い鎖を握り続ける」という終わりのない実践そのものなのです。

最後に、エグゼクティブ・プロデューサーとしてあなたに一つ、初心へ還るために極めて重要なことをお伝えします。

このサイトの目的はあなたにクリティカルシンキングスキルを習得してもらうこと。

そのためには、「ヒルガチを疑え!」と改めて言わせていただきます。

本日は憲法草案を「一つの答え」として提示しました。

しかし、クリティカルシンキングにおいて「絶対的な正解」は存在しません。

私たちが提示した新しい憲法草案すらも、見方を変えれば別の危険性を孕んでいるかもしれない。

あるいは、ヒルガチの構成や演出そのものが、あなたの思考を特定の結論へと誘導している可能性だってあるのです。

「ヒルガチを疑え!」そして、「ゲンカイモンさえも疑え!」。

権威の言葉を鵜呑みにせず、メディアが発信する情報こそ疑いの目を向け、自らの頭で解体、再構築、吟味しひとまず結論を出す。

さらに、「あなたが出したその結論さえも常に疑え!」これこそがあなたが主権者として「鎖を握り続ける」ためのたった一つの条件です。

現状を疑うクリティカルな思考が権力を制限することに繋がるからです。

あなたに「健全に疑い続ける意識」があるかどうか、常に確認する癖をつけて下さい。

本日のヒルガチがあなたの魂を揺さぶり、クリティカルな思考の一助になったならこれに勝る喜びはありません。

本日はここまで。

来週も、タブーなき議論でお会いしましょう。

ごきげんよう!
【予告】
来週は「安楽死の是非を問う」を放送予定、どうぞお楽しみに。

【より深くヒルガチを楽しむために】
初めて訪問された方は、「ヒルガチの歩き方」をご覧ください。

【クリティカルシンキングを理解する】
クリティカルシンキングについて、「クリティカルシンキングを極める!」で解説しています。

【ゲンカイモン運営哲学】
なぜ、クリティカルシンキングスキルの鍛錬に討論が有効なのか? この答えは「ゲンカイモンの挑戦!」で詳述しています。

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