大相撲の女人禁制から読み解く穢れ(けがれ)の正体!日本社会を蝕む差別の構造を徹底解剖

伝統

昼から生でガチバトル(ヒルガチ)は実在しない架空の番組です。すべてゲンカイモンが創作したものであり、実在する人物、団体、書籍とは一切関係ありません。ただし、内容は参考文献に基づき正確性を期すよう、細心の注意をはらい制作しています。なお、法律に関する記述は一般的な見解であり、個別の事案については必ず弁護士などの専門家に相談することをお薦めします。また、お断りしない限りすべての画像はAIで作成しています。イメージとして掲載していますが、放送内容と直接の関係はございません。

ごきげんいかがですか。

ゲンカイモン です。

討論やディベートの目的をあなたはどうお考えでしょう。

私は自身を疑う内省的(ないせいてき:自分の考えや行動などを深く省みる)な態度でクリティカルシンキングスキル を習得、そのスキルを継続的に鍛練することだと思っています。

本日のテーマは、日本人の心にこびりついている穢れ(けがれ)の構造。

穢れを直視すると、不快な感情が誘発され心が痛むかもしれません。

見て見ぬふりをし触れずに過ごしている方が数百倍気楽です。

しかし、私たちの深層心理に蠢く差別の根源である穢れの構造の理解なしに、真に平等な社会など未来永劫築けません。

タブー視されるが故に、世間ではこのテーマの議論は避けられている印象があります。

ならばヒルガチがやるしかない。

感情をとことんまで削ぎ落し、理性と知性で切り込みます。

さあ、田川さん、準備はいいですか。

本日も最後まで頼みます。

後はヨロシク!


田川
ゲンカイモンさん、お任せ下さい。

金曜のお昼、テレビの前のあなた、いかがお過ごしでしょうか。

こんにちは、田川 福三郎です。


田川 福三郎(たがわ ふくさぶろう)
ジャーナリスト歴60年のヒルガチ専属MC。ゲンカイモンが最も信頼を置く頼れる相棒。番組をまとめることが使命と信じる熱い男。事前にゲンカイモン、アシスタント大鷹と入念に打ち合わせを行い、理論武装した上で番組へ臨んでいる。3人目のパネリストとして鋭く切り込む

今週もヒルガチの時間がやってまいりました。

どうぞ最後までお付き合い下さい。

本日のテーマ発表とパネリスト紹介

田川

早速ですがテーマの発表とまいりましょう。

本日のテーマはこちら。

大相撲の女人禁制から読み解く穢れの正体!日本社会を蝕む差別の構造を徹底解剖

嫌悪と違和感を覚えながらも、なんとなく受け入れていることは世の中にたくさんあります。

  • 伝統だから仕方ない
  • 今更変えるの無理だろう
  • 長く続いてきたからには意味があるはず

大相撲の土俵に女性が上がれない(上がらせない)理由。

大相撲だけではない様々な(山、祭事、神事、歌舞伎など)女人禁制のしきたり。

東日本大震災の被災者に対する犯罪とも言える嫌がらせ。

コロナ禍での他県ナンバー狩り。

そして、特定の職業や地域、出自(しゅつじ:人や物事の生まれ、家柄、血統、由来、出どころ)に対する差別意識。

これらは個別の問題に見えますが、日本人の深層心理の中で穢れという一本の思想で繋がっています。

この日本固有の穢れという観念は、現代社会の人権とどう折り合いをつけるべきなのか。

それとも、現状維持でよいのか。

歴史学、社会学、文化人類学など、多面的視座から徹底討論してまいります。

それでは、本日のパネリストをご紹介しましょう。

まず、一人目はこの方。

穢れは差別の根源であり解体し克服すべきだと主張する、冴島 花織子さんです。


冴島 花織子 (さえじま かおりこ)
・関北国際大学大学院 社会学部
・ジェンダー論、社会階層論
・社会学博士
・著書『清浄という名の暴力:日本社会の排他構造』他多数

冴島
伝統という偽りの美しさで隠蔽された人権侵害の構造を、わかりやすく視聴者の皆様へお伝えしたいと思います。

よろしくお願いします。


田川
とても楽しみです。

続いて、穢れは日本文化の伝統であり、差別とは異なる宗教的、民俗学的意義があると主張する、宗像 厳さんです。


宗像 厳 (むなかた げん)
・京際文化大学大学院 文学研究科
・民俗学、神道学
・文学博士
・著書『ケガレとハレのコスモロジー:境界線の精神史』他

宗像
本日はお招きいただきとても光栄であります。

戦後民主主義の人権の概念だけで、伝統や文化を断罪することがいかに危険か、その危うさをお伝えできればと思います。


田川
光栄に感じていただきこちらこそ光栄です。

そして、アシスタントは誰より頼れるこの男、大鷹さんです。


大鷹
はい、田川さん。

本日は非常にセンシティブなテーマのせいか、本番が始まってから心臓のドキドキが止まりません。


大鷹 純 (おおたか じゅん)
徹底的なファクトチェックとパネリストとの出演交渉に奔走する影の立役者。田川、ゲンカイモンとは制作会議で激論を交わし合う同志。常に冷静沈着な仕事ぶりだが、実は誰よりもヒルガチを愛する熱血漢。初回放送では感極まって号泣する純粋な一面を見せ、視聴者の心を鷲掴みにする。

徹夜になりましたがきっちり論点をまとめてきました。


田川
大鷹さん、落ち着いて……。

鼓動が速いのは睡眠不足が原因じゃないの?

さっそく、徹夜で整理した論点を発表して下さい。


大鷹
はい、本日の議論の前提となる穢れに関する論点を、メリット(機能的側面)とデメリット(弊害的側面)に分けて整理しました。

本日の論点である穢れの功罪フリップをご覧ください。


穢れを解体、克服すべき理由穢れデメリット)
  • 伝統という名目で女性の土俵入り禁止や特定の職業、血統に対する差別を正当化し、現代の人権に逆行する不当な排除を固定化している
  • 医学的根拠のない「触れると汚れる」という迷信が、感染症患者や医療従事者へのバッシングや風評被害を助長し、深刻な社会的分断を招いている
  • 共同体の清浄さを保つために、異質なものを穢れとして外部へ排除する論理が、外国人やマイノリティに対する排外主義的な社会構造を生み出す
  • 生まれながらの属性で清浄、不浄を区別する前近代的な思想は、憲法第14条が保障する「法の下の平等」の理念に逆行し民主主義を揺るがす
  • 全体の調和や「場の空気」を守るために、個人の尊厳や権利を犠牲にすることを厭わない全体主義的な圧力を生み、多様な個人の自由な生き方を阻害する
穢れを理解、保存すべき側面(穢れのメリット)
  • 感染症の原因が不明だった時代に、遺体や血液から物理的に距離を置くことで、疫病の蔓延を防いだ古代人なりの公衆衛生上の知恵が含まれている
  • 日常空間(ケ)と神聖な空間(ハレ)を明確に区別する境界線として機能し、特別な場所への畏敬の念を生み出し、祭礼などの非日常性を高める効果がある
  • 死や災いによる精神的な動揺を「お祓い」や「お清め」という儀礼を通じて鎮め、心の平穏を取り戻すための日本人固有の精神的セーフティネットである
  • 共通の禁忌(タブー)を持つことで共同体内部の連帯感を強化し、祭祀などを通じて集団のアイデンティティを確認、維持する社会的装置として機能する
  • 西洋的な合理主義だけでは説明しきれない、自然への畏敬や不可視なものへの感性を含む「日本的霊性」としてグローバル社会における文化的独自性を持つ

田川
ご苦労様。

難解な穢れの論点が、徹夜しただけあって(笑)わかりやすくまとまっています。

これらの論点を前提に昼から生でガチバトルしていきましょう。


大相撲の女人禁制は差別か? 舞鶴巡業「土俵降りて」騒動から考察する

田川
改めてまして冴島さん、宗像さん、宜しくお願いいたします。

議論の口火を切るにふさわしいのはやはり、大相撲の女人禁制が原因で起きたあの騒動ではないでしょうか。

2018年、京都府舞鶴市(まいずるし)での大相撲春巡業中、土俵上で挨拶をしていた多々見良三(たたみりょうぞう:当時67歳)舞鶴市長がクモ膜下出血が原因で倒れました。

その際、観客席から駆けつけ救命措置を行っていた女性看護師らに対し、「女性の方は土俵から下りてください」という場内アナウンスを協会関係者が複数回行った事件です。

さらにその後、女性が降りた土俵に大量の塩が撒かれたことも物議を醸しました。

相撲協会の女人禁制に対する思想がとてもよくわかる、象徴的なできごとだったと個人的には思いますが……。

冴島さん、この一連の対応を含め、相撲協会の態度をどう分析されますか?


冴島
これは日本社会が抱える穢れ観の病理が、わかりやすい形で露呈した出来事でした。

人の命が危険にさらされている緊急事態においてさえ、「女性が土俵に上がると汚れる」という女人禁制の伝統が優先されたのですから。

更に許しがたいのは、救命作業をした女性たちが土俵を下りた後に大量の塩を撒いたこと。

これは、女性を「土俵を汚す汚らわしいもの」として扱ったに等しい行為です。

人命救助という崇高な行為を行った女性に対し、これ以上の侮辱があるでしょうか。

さらに言えば、スポーツ庁が策定している「第3期スポーツ基本計画」 において、「スポーツを通じた女性の活躍促進」や「多様な主体によるスポーツ参画」が国の方針として明確に打ち出されています。

人命救助を妨げてまで女性を排除する体制は、こうした現代のスポーツ界のコンプライアンスや国の指針にも完全に逆行するものです。


宗像
冴島さんの怒りは当然であり、ほとんどの国民が同じ感情を抱いたであろうことは想像に難くありません。

日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が「不適切な対応だった」と認め謝罪したことからも、協会側の対応に問題があったのは明らかです。

ただし、協会の肩を持つわけではありませんが、みなさんへわかっていただきたいことがあります、

それは、女性を土俵へ上げないのは恣意的(しいてき:論理的な必然性がなく思うままにふるまうさま)なものではなく、神道の教義の観点から必要なものだということです。

その上で、協会が教義を護りながら国民の理解を得る方法はあったはずです。

  • 男性医師や看護師を常駐させる
  • 本番の取組ではない知事や市長の挨拶は神事の概念から外す

これらは一例ですが、他にも対応策は様々考えられます。

また、救命措置などの緊急事態に対するマニュアルを作成しておくべきでした。

現在もマニュアルがないなら、考えられるあらゆる不測の事態を想定し今すぐ作成するべきです。

アナウンスをした若手の行司は想定外の突然の事態に慌てたため、長年守り続けてきた女人禁制の規律に咄嗟に反応し、条件反射的に「女性は土俵から降りて下さい」との言葉が出てしまったとのこと。

そこに悪意はありませんが、緊急対策マニュアルがあればもっと冷静な対応ができたはずです。

また、塩を撒いたのは市長が倒れた災いに対し、土俵を清める儀礼的な作法であったと解するのが自然です。

そして、短時間とはいえ女性が土俵へ上がった。

これは神事の場としての「結界」が破られたとみなされます。

それに対する宗教的な修復作業として塩を撒く必要がありました。

けして女性差別ではありません。

ただし、救命処置をした女性看護士らへまずは感謝の言葉を述べ、「緊急事態により土俵に通常と異なる事象が発生したため、清めの儀式を行います」とアナウンスしてから塩を撒くべきでした。


冴島
宗像さん、それこそが差別なんです。

「女性が土俵に上がることイコール結界が破られる」という定義自体が、女性を不浄視する「血の穢れ」に基づいています。

宗像さんは関係者たちに悪意がないと言いましたが、自覚なしに行われる差別ほど厄介なものはない。

本人たちに罪の意識がありませんからね。


宗像
しかし、冴島さん、すべてを差別と言って否定したら、日本から伝統や文化がなくなってしまいますよ。

伝統芸能、神事、祭りなどには合理性だけでは割り切れない、古来から続く「しきたり」があります。

相撲も同様、五穀豊穣を祈念する神事として、男性が演じる儀式の伝統を護り続けなければならないのです。


歌舞伎の女形の起源は風紀取り締まりだった!?

田川

伝統芸能というワードが出たので宗像さんにお聞きしたい。

女人禁制という意味では歌舞伎も大相撲と一緒ですね。


宗像
はい、田川さん。

現代では男性だけで演じられていますがそれは女性差別ではなく、ひとつの完成された芸術形式としての「様式美」です。


冴島
待ってください、宗像さん。

その見解には同意できません。

歌舞伎の歴史的ルーツをご存知でしょう。

創始者は「出雲阿国(いずものおくに)」という女性です。

当初は女性が演じる「女歌舞伎」が主流でした。

それがなぜ禁止されたのか。

神事だからでも、穢れだからでもありません。

風紀が乱れたからです。


宗像
はい、その事実は承知しています。

当時、「遊女歌舞伎」が売買春の温床となり、幕府が治安と風紀維持のために禁止しました。


冴島
そうです。

その後、美少年が演じる「若衆歌舞伎」になりましたが、これも男色(なんしょく / だんしょく:男性同士の性愛)の対象となり禁止された。

結果として、成人男性が演じる「野郎歌舞伎」しか許可されませんでした。

つまり、歌舞伎の女人禁制は宗教的理由などではなく、江戸幕府による「性風俗の取り締まり」という政治的規制の結果に過ぎないのです。

それを現代になって、「伝統美」だの「神聖な約束事」だのと後付けで正当化し、女性を排除し続けるのは歴史の歪曲です。


宗像
発生の起源がどうあれ、その後の数百年の歴史を軽視することはできません。

女性を排除した結果、男性が女性を演じる「女形(おんながた)」という、世界にも類を見ない高度な芸術的技法が生まれました。

女性の肉体を排除することで、観念的女性らしさのエッセンスを濃縮し表現する。

これはもはや、リアリズムを超えた芸術への昇華です。

もし今、男女平等を根拠に女性を舞台に上げれば、これまで積み上げてきた「芸術的美の技法」は崩壊するでしょう。


冴島
芸術論としては一理ありますが社会制度としては問題です。

現在、歌舞伎は文化庁の「国指定文化財等データベース」 において重要無形文化財に指定されており、国から多額の金銭的補助を受けています。

つまり、税金が投入されている。

その税金はもちろん、女性たちも納税しています。

芸術的価値の保存が目的とはいえ公的支援を受ける以上、現代の人権意識との整合性が問われるのは当然です。

さらに、男女共同参画社会基本法 の理念にも反します。

同法の第2条では、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保される……」ことが基本理念として定義されています。

男女共同参画社会基本法

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 男女共同参画社会の形成 男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。
(原文ママ)

性別を理由に公的な場から女性を排除するのは、国の基本理念を根底から否定する行為です。

伝統というマジックワードを使えば差別が許される特権意識こそが、日本相撲協会や歌舞伎界の根底にある問題なのです。


宗像
公的支援と芸術の自律性が難しいのはその通りです。

伝統芸能、神事、祭りなどに女性に対する不平等な負の面があるのは前述しました。

しかし、発祥当初のように歌舞伎に女性が参加したままだったら、現在のような「女形」は絶対に生まれなかったでしょう。

歴史的結果として、差別や不平等が伝統芸能と文化を生み出す機能を有する、正の面が存在するのも事実なのです。

この事実は国内だけに留まりません。

外国の事例
  • ブルーズやジャズ、ヒップホップ
    黒人奴隷制度などの人種差別、貧困といった理不尽な環境下での苦しみや抵抗から生まれた
  • クラシック音楽や貴族文化
    ヨーロッパの壮麗な芸術は王侯貴族と平民という絶対的な身分の不平等があり、一部の特権階級が莫大な富と時間を独占できたからこそパトロンとなり育まれた
  • カーストやギルド
    特定の工芸や芸能は「職業選択の自由がない(その仕事以外で生きる道がない)」「技術の外部流出を徹底的に防ぐ(秘密主義)」などの制約の中で世襲され、その結果として超人的な職人技(ムラーノ島のガラス職人など)や芸能(西アフリカの音楽家グリオなど)が継承された
ムラーノ島のガラス職人

13世紀、ヴェネツィア共和国は無色透明なガラス製造の技術が他国に漏れるのを防ぐため、すべてのガラス職人をムラーノ島という小さな島に、逃げ出せば殺すという厳しい掟(人権侵害)のもと強制移住させた。この「島への軟禁」と「ギルド内の厳しい徒弟制度」という閉鎖環境から激烈な技術競争が生まれ、他国の追随を許さない超人的ガラス工芸ヴェネツィアン・グラスが誕生した

西アフリカの音楽家グリオ

西アフリカ(マリやセネガルなど)には、数百年続く「グリオ」と呼ばれる世襲制の音楽家が存在する。グリオの家系に生まれた者はコラと呼ばれる複雑な弦楽器の演奏技術とともに、何百年分もの部族の歴史、王室の系譜、神話などをすべて暗記して弾き語ることを宿命づけられる。他の一切の職業から隔離され、幼少期から記憶と演奏の訓練だけを強制された結果、一人の人間の脳内に図書館一つ分にも匹敵する情報量を記憶するという、驚異的な能力(伝承芸術)が継承される

例えて言うなら、いくら過ごしやすいとはいえ一年中春だけの四季がない日本など私は望まない。

寒い冬があるから春のありがたみがわかる。

夏と秋も然り。

伝統芸能や神事に何がなんでも「現代の男女平等の概念」を適用するのは、四季から冬と夏を削除するようなものだと思いませんか?

春と秋だけなら確かに過ごしやすい。

しかし、日本の芸術や芸能から「わびさび」や「奥深さ」が失われ、のっぺりとしたものになってしまうのではないかと危惧するのは、私だけでしょうか。


田川
なるほど。

歌舞伎の例は伝統を考える上でとても興味深い。

歌舞伎の起源が「性風俗の取り締まり」という世俗的なものであり、女性演者がいない制約の中で時を重ねながら、唯一無二の「女形」という「芸術的美の技法」に昇華させたという宗像さんの分析は説得力がある。

女性演者がいたら「女形」は生まれず、現在の歌舞伎の芸術性は全く異なるものになっていたに違いない。

そして、四季から夏と冬を除いたような、「文化的平盤化」に対する宗像さんの懸念もとてもよくわかる。

私も一年中ぽかぽかな陽気よりも、たとえ寒かろうと冬がある日本が好きだな(笑)

「差別や不平等が伝統芸能と文化を生み出す機能を有する」

この事実は差別否定論者には耳が痛い指摘だ。

では次に、この対立の根底にある穢れの構造について論を進めたいと思います。


穢れの正体とは何か? 気枯れから制度的固定化への変質

国立公文書館デジタルアーカイブ


田川
そもそも穢れとは何か。

宗像さんには穢れの概念の解説をお願いしたい。


宗像
かしこまりました。

本来ケガレとは「気枯れ」、すなわち生命の気(活力)が枯渇した状態を指します。

死、病気、出産などは生命力が不安定になるため、共同体全体に気の枯渇が伝播しないよう一時的に隔離して回復を待つ。

これが原点です。

民俗学者の折口信夫はこの排除は悪意ではなく、共同体の気を維持するための防衛本能が表出したものと指摘しています。

折口信夫

詩人や歌人としても活躍した民俗学者、国文学者。柳田国男に師事し古代信仰や芸能を基軸とした「折口学」を確立。1887生 – 1953没


冴島
その本能が権力と結びつくと牙をむくのです。

平安時代の法典「延喜式」では死や血に触れることが法的に穢れとして規定され、処罰や隔離の対象となりました。

延喜式

平安時代中期の927年(延長5年)に完成した格式の式(律令の施行細則)をまとめた全50巻の法典。醍醐天皇の勅で編纂が始まり藤原時平藤原忠平らが完成させた。

さらに江戸時代になると幕府は統治システムとして、食肉処理、皮革加工、葬儀、清掃など「死と再生」に関わる職業に従事する人々を身分制度の中に固定化した。


宗像
確かに、政治的な意図で利用された側面は否定できません。

仏教の殺生戒(せっしょうかい:生き物の命を故意に奪うことを禁じる根本的な戒律)と神道の浄明正直(じょうめいせいちょく:清らかで澄んだ心、明るい心、正しい心、素直な心の4つを指す)が習合し、特定の職能が恒久的な穢れとして固定化されてしまった。

これは本来の一時的な状態としての穢れからの逸脱です。


冴島
その逸脱が数百年にわたって構造化され、特定の身分や地域に対する差別(同和問題など)として現在も尾を引いています。

法務省の公式見解 として、「同和問題は日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分階層構造に基づく差別であり、我が国固有の重大な人権問題である」と明記し、現在も啓発活動を続けています。

穢れという観念が、単なる迷信からいかに深刻な人権侵害のシステムへと転化したかを示す最たる例です。


海外と比較すると見えてくる日本特有の清浄への執着

田川
この穢れの概念は日本特有のものなのでしょうか。

冴島さん、海外の事例を教えて下さい。


冴島
インドのカースト制度における「不可触民(ふかしょくみん:ダリット)」の概念と非常に酷似しています。

不可触民

ダリット
インドやネパールのヒンドゥー教カースト制度(ジャーティ)において最下層に位置し、「踏みにじられた人々」「抑圧された者」を意味する手作業での排泄物処理(マニュアル・スカベンジング)や、屠畜、皮革労働など「不浄」とみなされる仕事に従事させられる

ヒンドゥー教でも浄、不浄の観念は強く、職業や出自による差別を生んでいます。

しかし、インドでは憲法でカースト差別を禁止し、アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)を行っています。

対して日本は法的に解放令が出ても、心理的な穢れ観が温存されたままです。

解放令

かいほうれい:正式名称は「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」で、明治新政府が出した太政官布告「えたひにん」等の呼称と身分を廃止し、平民への編入と職業、居住の自由を認めた法

簡単に心は変わりません。


宗像
補足すると、キリスト教圏やイスラム圏では道徳的な「罪」が重視されますが、日本の穢れは道徳的善悪とは無関係な状態的なものです。

「罪」を犯していない善人であろうと、死体や血液に触れれば穢れるという思想です。

メアリー・ダグラスが『汚穢と禁忌(おわいときんき) で述べたように、汚れとは「場所を間違えた物質」であり秩序を乱すものです。

日本人はこの「秩序の維持」に対して異常なほど敏感なのです。


冴島

その敏感さが極端な排除を生み、排除を肯定する論理になる。

たとえ「秩序の維持」が目的であろうと、それを根拠に公的な場での女性排除を正当化する論理は国際社会では通用しません。


宗像
ただ、日本の「お祓い」や「お清め」の習慣に見られる清潔志向は、公衆衛生の観点からはプラスに働きました。

すべてを否定するのは歴史の一面しか見ていない証左です。


田川
穢れが差別を生むメカニズムについてもう少し深掘りします。

穢れは「境界線」を作る機能があると言われますね。


宗像
はい。

聖域(ハレ)と日常(ケ)を区別するためには、その境界を明確にする必要があります。

鳥居の内側を清浄に保つには、不浄なものを外へ押し出さなければならない。

これは共同体のアイデンティティを保つための装置になります。


冴島
穢れの構造はおっしゃる通りです。

自分たちが清らかであり続けるために、特定の人間を汚れた存在として外部化する。

これはスケープゴート(身代わり)の論理です。

スケープゴート

scapegoat:古代ユダヤで年に一度人々の罪を負って荒野に放たれたヤギに由来。現代では集団の不満や憎悪を解消するために弱者や関係ない対象が犠牲にされる現象を指す。

「あの地域の人と結婚してはいけない」

「動物の殺生を生業にする人と関わるな」

こうした忌避感に合理的な理由などなく、穢れというワードによって正当化された差別に過ぎません。


宗像
しかし、人間は本能的に死や血を恐れる。

その恐怖心を儀礼的に処理する装置がなければ、精神の安定が保てず社会不安が増大する危険があります。


冴島
大衆の恐怖心を解消するために、特定の人たちの人権を蹂躙していいわけがありません。

恐怖心は科学的知識や理性で克服するのが、現代社会に生きる私たちが身につけるべき作法です。


田川福三郎が直撃インタビュー! スタジオゲストの本音に迫る

田川
ここで、多様なバックグラウンドを持つゲストの方々がスタジオへいらっしゃっています。

若い人の意見から聞こうかな。

TikTokフォロワー10万人のインフルエンサー、ハニワちゃんさん。

ここまでの議論を聞いてどうですか?


ハニワちゃん

正直、意味わかんないです。生理が穢れとか言われたら、私たち女の子は生きてるだけで汚いってことですよね。 山とかお祭りも女の子ダメなのがあるって聞いたことあるけど、パワースポットに行けなくなっちゃう。そうなったらマジ無理です。

田川
行きたいところに行けないのはヤダよね。

次は国際弁護士の佐藤さん、海外と比べて日本の現状はいかがですか?


佐藤

国際人権規約の観点からも、公的な団体が性別を理由に特定の人を排除することは許されません。さらに、日本が1985年に批准したCEDAW(女性差別撤廃条約) では、政治的、経済的、社会的なあらゆる分野において「法令上だけでなく、慣行上の女性差別も撤廃する義務」を国に課しています。たとえ伝統や文化を護る名目でも、差別の存在は国際社会での日本の評価を下げるだけです。

田川
元宮司の加藤さん、現場にいた立場としてはいかがでしょう。

加藤

神域というのは非常に繊細な結界の中にあり、気が乱れることを恐れる。理屈ではないのです。ただ、現代に合わせて変えるべき部分があることは認識しています。一方で変えてはならない核心部分といかに整合性をとり、伝統を護るか。バランスをとるのに我々も苦悩しています。

田川
なるほど。

駐日ガーナ大使のボビーボワールさん、ここまでの議論でどのような感想をお持ちになりましたか?


ボビーボワール

非常にエキゾチックですが同時に残酷です。日本人は内に入ればとても親切ですが、外や穢れと見なしたものには冷酷になる。コロナ禍での医療従事者への差別などは、まさに現代の「不可触民」扱いに見えました。

田川
ありがとうございます。

ハニワちゃんさんの「パワースポットに行けないのは困る」という素直な感覚、ボビーボワールさんの「コロナ禍での差別」の指摘。

どちらもとても興味深い話だ。

ボビーボワールさんが指摘したように、現代でも穢れは形を変えて存在しています。


冴島
その通りです。

福島第一原発事故の際、福島県出身者が放射能を理由に「伝染(うつ)る」と言われ避難先でいやがらせを受けた事例。

法務省は「震災等の災害に起因する偏見や差別をなくしましょう」という特設ページ を設け、被災者に対する科学的根拠のない思い込みによる風評被害が、いかに深刻な人権侵害であるかを現在も強く警告しています。

そして、COVID-19の感染者や医療従事者がまるで病原菌のように扱われた事例。

コロナ禍についても同省は「憎しみのウイルス」や「不安を差別につなげちゃいけない」と題した人権啓発キャンペーン を展開せざるを得ませんでした。

未知のウイルスに対する恐怖が、あっという間に特定の人々への不当な排除や差別にすり替わる様は、まさに古代の穢れ忌避そのものです。

これらの事例は、中世の「触穢(しょくえ:穢れに触れること)」思想が私たちの深層心理に脈々と流れている証明です。

科学がこれだけ発達した現代でさえ、日本人の本質は何も変わっていないのです。


宗像
私もその点には同意します。

日本人の衛生観念はバイ菌(ウイルス、細菌)という科学的概念と、穢れという宗教的概念が混同されています。

だから、物理的に消毒しても心理的な不安が消えない。

SNSでの誹謗中傷も、異物を排除して自分のタイムラインを浄化しようとする「お清め」に見えます。


冴島
この現代の穢れは、ネット空間の匿名性と相まってより陰湿になっています。

法務省や総務省が近年最も警戒しているのが、このインターネット上の人権侵害 です。

匿名を悪用し、特定の地域や民族、感染症の患者に対して穢れのごとく執拗な誹謗中傷やヘイトスピーチを浴びせる。

プロバイダへの削除要請が急増、対処がが追いつかないほど社会問題化しています。

ネット空間という環境のため個人の特定が難しいため、これからの新たな問題と言えるでしょう。


宗像
ただ、日本人の「マスク着用率の高さ」などは、この穢れ忌避意識がコロナのパンデミックを防いだ側面もある。

功罪相半ばするのが難しいところです。


伝統と尊厳の相克を乗り越えた先に見えるもの

田川
議論も佳境に入ってきました。

未来の話をしたい。

私たちは伝統と個人の尊厳をどう両立させるべきなのでしょうか。


宗像
私は、伝統とは「更新され続けるもの」だと考えます。

かつては女人禁制だった祭りでは、高齢化や過疎化で担い手が不足し女性が神輿を担ぐ地域が増えています。

必要に迫られれば穢れの解釈は変わる。

ただし、外部からの圧力で強制的に変えるのではなく、共同体の内部から自発的に変わるのを待つべき、というのが私の考えです。


冴島
宗像さんがコミュニティの人たちの主体性に期待する気持ちは理解します。

ただし、こうして私たちが議論しているこの瞬間にも、現在進行形で差別の被害にあわれている方たちがたくさんいるのです。

内部からの変化を待つだけでは、被差別者の権利は永遠に守られません。

特に日本相撲協会のような公益財団法人が、公然と差別を行うことには政治的介入が必要と考えます。

「伝統だから」と思考停止するのではなく、「なぜその伝統が生まれたのか」を分析し、現代の人権意識や価値観とは相容れない部分をアップデートする勇気が必要です。


田川
宗像さんは「内部からの自発的変化」、冴島さんは「積極的な介入と改革」。

アプローチは違いますが、宗像さんも現状維持で良いと思っていないようなので安心しました(笑)。

最後にこの根深い問題を克服するための、建設的な提言をお聞きしたい。

冴島さんからどうぞ。


冴島
はい、私からの提案は教育と法整備です。

穢れがどのように政治的に利用されてきたか、穢れの歴史を子供たちに学校でしっかり教える。

そして、伝統や慣習を理由とした差別を許さない「包括的差別禁止法(仮称)」の制定を求めます。

伝統だからと思考停止しないためにも、国会議員の方たちには法的枠組みの作成を急いでいただきたい。

決して不可能なことではありません。

2016年に「部落差別の解消の推進に関する法律」 が施行されています。

手本となる前例はあるのです。


宗像
私は「新たな儀礼」の創出が必要だと考えます。

排除の論理ではない、包摂のための「お清めの儀礼」です。

様々な国の人たちが繋いで行くオリンピックの聖火リレーのように、異なる属性の人たちが共に「新たな儀礼」を通じ、穢れの概念を多様性の受容へと書き換えていく。

私たち日本人の精神性を活かした「新たな儀礼」がきっと見つかるはずです。


田川
法によるハード面の改革と精神文化によるソフト面の更新。

両輪が必要ということだ。

令和7年(2025年)には「新型インフルエンザ等対策特別措置法」 が改正され、感染者や医療従事者に対する差別的取扱いを防止するための規定が新たに設けられました。

このように、国や自治体も法的なハード面の対策に少しずつ動き出しています。

最後におふた方に、本日の感想をひと言ずついただいて番組を終わりたいと思います。


宗像
はい、田川さん。

本日は大変有意義な時間を過ごさせていただきありがとうございました。

冴島さんの「包括的差別禁止法案」の制定は、解決策の1つとしてたいへん有効だと思います。

ヒルガチで討論できたことに感謝いたします


冴島
宗像先生はもちろんですが、田川さんの豊富な情報量に驚いています。

敬服いたします。

そして、宗像先生の歴史的視座のおかげで新たな知見が得られました。

とても建設的な議論ができたと思います。

田川さん、お呼びいただきありがとうございました。


田川
宗像さん、冴島さん、本日も昼から生でガチバトルしていただき、誠にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。


ヒルガチ名物コーナー 哲学者ソクラテスの私ならこうする!

本コーナーは哲学的視点からテーマを思考することが目的です。オカルトや心霊現象の実在を主張するものではありません。また、否定するものでもありません。日本固有の民俗信仰であるイタコを通じ、哲学を身近に感じていただくための演出とご理解下さい。

田川
恐子さん、今日は重たいテーマでしたが、名誉顧問のソクラテスならどう考えるでしょう。


恐子
んだなす。


イタコの恐子
御年87歳、イタコ歴70年、現役のイタコ。ゲンカイモンが1ヶ月かけて出演交渉、やっとの思いで口説き落とす。ずだ袋に忍ばせるおやつの南部せんべいを、いつもスタッフにおすそ分けしてくれる、愛と知性に溢れたヒルガチ自慢の看板娘。

穢れだの浄めだのって、人間は自分と異なるものに気を使うからな。

ほれ、ソクラテス様、降りてきてけろ!


ソクラテス
田川よ、呼んだかね?


ソクラテス(紀元前469年頃 – 紀元前399年)
古代ギリシアの哲学者。西洋哲学の祖とされる人物。「無知の知」を自覚し、街頭での対話(問答法) を通じて人々に善や正義を問い続け、魂(プシュケー)の重要性を説く。著作は残さず、その思想は弟子のプラトンらが伝えた。若者を惑わせた等の罪に問われたが「悪法もまた法なり」と、死刑判決を受け入れ70歳でその生涯を閉じる。

田川
はい、ソクラテス。

日本では穢れの観念がありそれが差別を生んでいます。

特定の地域や職業を汚れていると見なすこの考え、どうすれば克服できるでしょうか?


ソクラテス
うむ。

「汚れている」とは妙なことを言う。

田川よ、汚れているのはその者の血なのか?

それとも、その者を汚れていると見なす汝らの魂ではないのか?


田川
えっ、私たちですか?


ソクラテス
そうだ。

私はかつてアテナイの人々に問い続けた。

「善」や「美」について知っているつもりになっているが、実は何も知らないのではないか……と。

汝らも同じだ。

穢れが何であるか、真に知っている者はいるのか?

それは実体として存在するのか、それとも恐れる心が作り出した幻影ではないのか?


田川
おそらく、恐怖心や社会的な取り決めが生んだ幻影に近いかと……。


ソクラテス
ならば、その幻影を恐れ隣人を遠ざけるその心の動きこそが、最も魂を曇らせる汚れではないか。

哲学者ソクラテスの私ならこうする!

真に美しい魂とは知恵を持ち正義を行う善良なるものだ。

伝統という名の思い込みに安住し問い直すことをやめた時、人の魂は腐敗する。

問い続けよ。

なぜそれを避けるのか、なぜそれを恐れるのか。

その対話の中にしか浄化の道はないと心得よ。


恐子
わからねこどは聞かなきゃダメだっつーこどだなぁー。

霧晴れて見えぬ道ここに現れん!
(テーマの問題が解決し進むべき道が開けてきた。恐子の決めゼリフ


田川
「汚れているのは差別する側の魂ではないのか」

名誉顧問から、本日も新たな気付きが得られた。

今日のヒルガチで明らかになったのは、穢れは太古からの衛生観念や秩序維持のシステムでしたが、ときの権力が大衆のガス抜きとして身分制度を固定化してしまったという事実です。

私たちは無意識に感じる恐怖心や忌避感が真に自分の感覚なのか、それとも歴史的に刷り込まれた偏見なのか、常に自問し続ける必要があります。

伝統を尊重しつつも、誰かの尊厳を奪う伝統にはハッキリと「NO」と言う。

それが、近代社会に生きる成熟した人間への第一歩ではないでしょうか。

【参考文献リスト】



【ゲンカイモン総括】
本日のテーマは、日本人のアイデンティティの根幹に関わる非常にデリケートな問題でした。

だからこそ議論する価値がある。

冴島さんのロジカルな批判と宗像さんの文化への深い洞察。

この2つがぶつかり合うことで、穢れという得体の知れない差別の構造が見えてきました。

ソクラテスが言う、「対話の中にしか浄化の道はない」というメッセージはとても重要です。

哲学に触れたあなたの思考に、少しでも多様性が生じたならこれ以上の喜びはありません。

日本人は、伝統と人権を高度に融合させた新しい社会モデルが作れるはずです。

今週はここまで。

来週も常識を疑い、脳みそに汗をかきましょう!

ごきげんよう!


【予告】
来週は「憲法改正」を放送予定、どうぞお楽しみに。

【より深くヒルガチを楽しむために】
初めて訪問された方は「ヒルガチの歩き方」 をご覧ください。

【クリティカルシンキングを理解する】
クリティカルシンキングについて、「クリティカルシンキングを極める」 で解説しています。

【ゲンカイモン運営哲学】
なぜ、クリティカルシンキングスキルの鍛錬に討論が有効なのか? この答えは「ゲンカイモンの挑戦」 で詳述しています。

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