ゲンカイモンです。
前回の放送後、視聴者の皆様からかつてないほど多くの反響をいただきました。
その中で、ハッとさせられる意見がありました。
「みんな愛子さま、愛子さまと言うけれど、将来、天皇になることが決まっている悠仁さまのことを置き去りにしていないか?」
「お世継ぎの重圧で可哀想だと言うけれど、それは悠仁さまの覚悟を無視した無礼な発言ではないか?」
確かに、私たちは「世論」という名のスポットライトを愛子内親王に当てすぎるあまり、もう一人の主役、もとい、正統な後継者のお姿を伝えていませんでした。
今回のヒルガチは「悠仁親王殿下の現在地」に迫ります。
田川さん、あとは頼みました。
宜しくお願いします。
田川
ゲンカイモンさん、お任せ下さい。
テレビの前のあなた、こんにちは、田川福三郎です。
前回の放送後、たくさんのメールをいただきました。
ほとんどが「悠仁さまのことに全然触れていないじゃないか」というお叱りの内容です。
これではいけないとゲンカイモンさんと緊急ミーティング、本日の番組を収録しているというわけです。
前回放送で「愛子天皇待望論」の熱狂をお伝えしましたが、今回は冷静に、そして厳粛に悠仁親王殿下(ひさひとしんのうでんか)に焦点を当てます。
秋篠宮家のご長男としてお生まれになり、2025年9月6日にお誕生日を迎え今年で19歳。
父、秋篠宮皇嗣殿下(あきしのみやこうしでんか)以来40年ぶりの成年式(加冠の儀など)に臨まれました。
現在、筑波大学生命環境学群生物学類に在学中の大学生。
現在、お父様に次ぐ皇位継承順位2位。
このような状況の中、直近の世論調査 では女性天皇容認が7割に迫る勢いです。
愛子様がこの数字を押し上げているのは明白でしょう。
なぜ、正統な後継者である悠仁さまよりも愛子さまに人気が集まるのか?
そして、ご自身が天皇になることが運命づけられている中で、国民が別の天皇を望んでいるという現状を、悠仁さまはどう受け止めておられるのか?
さらに、「プレッシャーで可哀想」という同情心は、未来の天皇に対する不敬であり冒涜ではないのか?
今日も高森 明美さん、神宮寺 剛さんと共に、このデリケートな問題にガチで切り込みます。
なぜ悠仁親王ではなく愛子内親王なのか? 人気の乖離を読み解く
田川
本日は急遽お集まりいただき、ありがとうございます。
まず、直視しなければならない事実があります。
愛子さまの成年行事や海外公務には絶賛の嵐 が吹き荒れる一方で、悠仁さまに関する報道にはどこか批判的な空気が混じることが多々ある。
進学問題 や過去の作文コンクールでの引用不備問題 などが原因で、バッシングに近い報道がされたこともあります
なぜ、ここまで国民の反応に差が出るのでしょうか?
高森さん、いかがですか?
高森
理由は明確です。
「透明性」と「共感」の違いです。
愛子内親王は不登校の時期、とてもお痩せになられたことなど、ネガティブなことにも臆することなく、苦悩する姿を国民にできるだけお見せになられてきました。
そして今、それを乗り越えて笑顔で公務に励む姿に、国民は「物語」を感じて「共感」しているのです。
愛子様の成長を娘の成長であるかのように、自分に重ねて合わせて見ている親御さんもきっといることでしょう。
一方、悠仁親王の場合、教育方針が「特別なルート」に見えてしまうことがありました。
提携校進学制度を利用した高校入学、東大推薦入学の噂など、国民から見ると「皇族特権ではないか?」という疑念が生まれてしまった。
現代の国民は特別扱いに敏感です。
どんなに優秀であろうとプロセスが不透明だと、たとえ皇族でも批判の対象になってしまうのが現代社会といえるでしょう。
そして、SNSの普及により、悪い噂ほどすぐに拡散されやすい傾向にあります。
好ましいこととは私も思いませんがこれが現実です。
神宮寺
田川さん、高森さんがおっしゃったSNSの弊害もそうですが、秋篠宮家に対する一部週刊誌の報道に偏りがあると思いませんか?
原因はわかりませんが、眞子さんと小室圭さんの騒動が尾を引いているのかもしれません。
高森さんの見解に対しては、偏向報道を真に受けたSNSユーザー、そして、偏向報道の発信元である一部メディアが共同作業で作りあげた虚像に過ぎないとお答えします。
悠仁親王殿下は、幼少期から将来の天皇として厳格に育てられてきました。
愛子内親王のように笑顔を振りまく(もちろんそれはとても大事なことです)のではなく、学問を修め次期天皇としての研鑽を積むことが、男性皇族としての務めと認識しているのです。
人気がないのではありません。
人気をお取りになることをしないのです。
宮内庁の公式インスタグラムの成年式には、27万件近い「いいね」が付いています。
軽々しく消費されるアイドル的な人気とは一線を画す、近寄りがたいほどの「威厳」を既に身につけつつある、そう理解するのが正しい見方です。
それを「愛想がない」と批判するのは自由ですが、皇族は芸能人ではないとだけ強調してお伝えしておきます。
「国民は私を望んでいないのか?」 若き親王の胸中を推し量る
田川
神宮司さんの指摘は私もメディア側の人間として耳に痛いですが、「偏見があった、色眼鏡で見ていた」と後から気付くことがある。
これからも戒めなければいけないと肝に銘じたいと思います。
そこでお聞きしたい。
いくら将来の天皇とはいえ悠仁親王はまだ10代の若者。
スマホを見ればニュースサイトなどで、世論調査の結果が目に入るでしょう。
「私が正統な後継者なのに、国民の多くは従姉(いとこ)の愛子ねえさまが天皇になればいいと望んでいる」
このような状況に置かれた時、その心中はいかばかりか。
想像するだけで胸が締め付けられます。
どうですか、高森さん。
あなた、耐えられる?
高森
普通なら心が折れてもおかしくありません。
「自分は望まれていない存在なのか?」
こんな自己否定に陥るのが自然でしょう。
だからこそ、私は前回申し上げたように、この残酷な構造を変えるべきだと主張しているのです。
ご本人の能力や資質の問題ではなく、制度と世論のねじれによって悠仁さまを傷つけることは避けるべきです。
神宮寺
高森さん、その考え方が根本的に違うんですよ。
我々一般国民と、皇族としてお生まれになった方との決定的な違いは何か、考えたことありますか?
それは、自身の宿命を受け入れる覚悟がお在りになるということです。
悠仁親王殿下は、世間の風潮に一喜一憂されるほど弱い心をお持ちではありません。
歴代の天皇は戦乱の世や皇室存亡の危機にあっても、黙々と祭祀を行い国家の安寧を祈ってこられた。
そんな中、常に称賛されていたわけではない。
批判されたことも当然ある。
しかし、そんなことは些末なことなのです。
「国民がどう思おうと、私が継承し私が祈る。それが私の宿命である。」
悠仁さまは既にこの境地に達しておられるはずです。
何故なら、父である秋篠宮皇嗣殿下はもちろん、上皇陛下、今上陛下とお生まれになられてからずっと、同じ時代、同じ時間をお過ごしになり、同じ空気を吸いながら研鑽を積まれてこられたのですから。
「愛子天皇待望論」など殿下にとっては、吹き抜ける一陣の風に過ぎないと思われているはずです。
かわいそうという同情は冒涜なのか?
田川
ここで、放送終了後に届いた1通のメールをご紹介します。
とても考えさせられました。
大鷹さん、読み上げて下さい。
大鷹
かしこまりました、田川さん。
大阪府在住、ペンネーム「青嵐(せいらん)」さんからいただきました。
毎週、楽しく見ています。
前回の放送で気になることがあったのでメールさせていただきました。
高森先生は悠仁さまの状況を『虐待に近い』『かわいそう』とおっしゃいました。
しかし、それは悠仁さまの覚悟に対する侮辱ではありませんか?
悠仁さまは生まれた瞬間から、将来天皇になることが運命づけられています。
天皇にならないという選択肢はありません。
高森先生人が『私には耐えられない』と思うのは自由です。
ただし、先生の基準で悠仁さまを哀れな被害者にし同情するのは、僭越と言うほかありません。
悠仁さまは哀れな被害者ではありません。
未来の日本国を背負う覚悟を決めた、一人の立派な青年皇族です。
そのお立場を理解し孤独な覚悟に敬意を表し、静かに感謝の念を抱くのが国民の務めではないでしょうか。
田川
いやあ、これは天皇の本質を指摘する意見だ。
高森さん、名指しで僭越(せんえつ:自分の地位や立場を越えて出過ぎたことをする)な行為と言われています。
「同情は侮辱ではないのか」という問いかけにどう答えますか?
高森
……おっしゃる意味はわかります。
確かに、個人の意思を尊重することは大切です。
しかし、それは「結果として耐えられたら美談」という精神論に過ぎません。
人間には限界があります。
「皇族だから特別に強い精神を持っているはずだ」という期待こそが、過剰なプレッシャーとなるのです。
雅子皇后陛下の適応障害など、過去にも実例があるではないですか!
私は悠仁親王を侮辱しているのではありません。
一人の人間としての「尊厳」と「自由」を守りたいだけです。
無理なものは無理と言う権利が皇族にはない。
その構造自体が非人道的だと言っているのです。
神宮寺
いいえ、青嵐さんがおっしゃるのが正しい。
侮辱以外の何物でもありません。
高森さんは根本的に間違っています。
あなたは皇族を「守られるべき被害者」として見ていますが、悠仁殿下は国民を「守り導く強者」としてお育ちです。
「無理なものは無理と言う権利が皇族にはない」とあなたはおっしゃった。
もし権利があるとして、悠仁親王が「天皇にならない」と言うと思いますか?
青嵐さんが言うように、親王に「天皇にならない」という選択はあり得ないのです。
「かわいそう」と言って制度を変えようとする行為は、悠仁親王に対し「あなたにはその重荷を背負う能力がない」と言っているのと同じなんですよ。
そこに気づかなければいけない。
同情心は一見優しさに見えますが、極めて冷酷な能力否定です。
悠仁親王は父の秋篠宮殿下、母の文仁親王妃紀子(ふみひとしんのうひ きこ)さまと共にお暮らしになり、そして、今上陛下のお姿を通し、皇祖皇宗の大御心を間近に感じながら育ちました。
批判や称賛をすべて一身にお受けになり、それでも国民の幸せを願い祈り続ける。
その「王者の孤独」を受け入れる準備は私たちが想像する以上に進んでいます。
それを第三者が「辛いでしょう? 辞めていいんですよ」と囁くことは、悠仁親王の覚悟を土足で踏みにじる行為だと気づくべきです。
孤独を受け入れた先に輝く真の帝王学
田川
帝王の孤独と言えばよいのか……。
正統な後継者であるがゆえに、好感度など気にせずただ静かにその時を待つ。
その沈黙は噴火する前の活火山なのかもしれません。
その時が訪れれば一挙に溶岩が噴き出し、爆発的エネルギーで私たち国民を瞬く間に安寧へと導くでしょう。
大鷹
田川さん、急な収録のため無観客ですが、スタッフたちの表情がいつにもまして緊張しているように見えるのは私だけでしょうか。
今日の議論を聞いて、悠仁さまの「沈黙」が全く違った意味に感じられてきました。
その「沈黙」を、噴火する前の火山に例える田川さんはさすがですけれど(笑)。
愛子さまの笑顔が国民を明るく照らす「太陽」なら、悠仁さまの寡黙は全てを受けいれる「大地」のような力強さを感じます。
大地がありそこへ燦々と太陽の光がふりそそぐ。
どちらか一つではない、両方がなければ日本は滅亡してしまうでしょう。
田川
ははは……例え返しで来たね。
私たちは安易に「愛子さまがいい」「悠仁さまは可哀想」と言いますが、それはあまりに表層的な見方だったのかもしれません。
悠仁親王殿下が背負っているものは Y 染色体という生物学的なものだけでなく、神代から連綿と続く2600年の歴史が凝縮された「宿命」そのものです。
その重みを一身にお受けになられている19歳の青年に向けるべきは「同情」ではなく、畏怖の念に基づいた「敬意」ではないでしょうか。
愛子天皇待望論が渦巻く中であえて何も語らず、ただ来るべく未来に備え己を高め続ける。
その肉体には、気高き「帝王」の精神がすでに宿っているのかもしれません。
あなたは沈黙の若き親王に何を感じますか?
高森さん、神宮寺さん、急遽お集まりいただき感謝いたします。
本日はここまで。
また次回お会いしましょう。
【ゲンカイモン総括】
前回の放送でほとんど触れなかった「悠仁親王」ですが、視聴者様から本当にたくさんの反響をいただきました。
「愛子さまも大好きだけど、悠仁さまのこと、もっと教えて!」
「女性天皇の議論は必要だけど、次の天皇は悠仁さまに決まっているのに……。」
放送後、田川さんと互いに顔を見合わせてしまいました。
「やっちまったなあー!」
完全に抜け落ちている。
本日の放送は翌土曜日の夕方に高森さん、神宮寺さんを急遽招集しての討論のため録画であることをご了承下さい。
高森さんの同情心に対し「侮辱」「僭越」という厳しい言葉で青嵐さんが指摘されました。
悠仁親王の宿命に対する「覚悟」を、我々国民が意識できているのか?
恥ずかしながら、私はできていなかった。
リベラルな視点からの人権擁護が、時として当事者の誇りを傷つける可能性があるというパラドックス。
そして、国民感情を超越したところにある「権威」の本質。
私たちにはわかり得ない「権威」を背負う重圧。
悠仁親王へ思いを馳せることで、皇位継承問題の見え方は劇的に変わります。
高貴であるが故に、悠仁親王が背負う「孤独」は国民と共有し得ない。
私たちができること、すべきことは、悠仁親王の気高き「覚悟」に対し「敬意」を払い、「感謝」の念を抱き続けることだと確信しました。
本日の緊急放送があなたのクリティカルな思考に貢献できたなら、こんなに嬉しいことはありません。
次の金曜日にお会いしましょう。
ごきげんよう。
ゲンカイモン

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