【はじめに】
昼から生でガチバトルは実在しない架空の番組です。すべてゲンカイモンが創作したものであり、実在する人物、団体、書籍とは一切関係ありません。ただし、内容は参考文献に基づき正確性を期すよう、細心の注意をはらい制作しています。初めて訪問された方は「ヒルガチの歩き方」をご覧ください。こちらをお読みいただくことで、より深くヒルガチをお楽しみいただけます。
思考の闘技場「昼から生でガチバトル!」へようこそ!
ゲンカイモンです。
我々が当たり前のように受け入れている民主主義。
このシステムは人類にとり最善なのでしょうか?
多数決という数の論理が常に正しい結果へ辿り着くとは限らない。
政治不信が我が日本に暗い影を落とす今、この根本的な問いにこのタイミングで向き合う意義があるはずです。
本日はこの難題に現代の論客と、かの福沢諭吉の思想を交えて真っ向から挑みます。
常識を疑い、思考の限界を超える2時間。
戦いの火蓋が切って落とされます
田川さん、後は宜しく!
田川
はい、ゲンカイモンさん、ありがとうございます。
こんにちは、田川 福三郎です。
毎週金曜日、すっかり恒例となりました「ヒルガチ」ですが、本日も生放送で熱い討論をお届けしてまいります。
まず、本日のテーマを発表したいと思います。
テーマはこちら。
民主主義は最善のシステムか? 意思決定機関としての国民の理想を考察する!
私たち日本人は何ごとを決めるにも当たり前の様に多数決で決めています。
小中高の各学校、企業、選挙、国会。
いや、日本に限ったことではない。
様々な国際会議、例えば国連総会でも最後は多数決で決める。
どの国へ行こうとも数の論理が正義として大手を振って歩いている。
あまりにも当たり前過ぎて誰も疑うことをしません。
そこを疑うのがヒルガチ (笑)。
早速、本日のテーマ、民主主議の論点をフリップにまとめました。
フリップは本来、大鷹さんの仕事なんたけれど、彼は今、取材で韓国だっけ?
あっ、中国か。
高市さんのあの発言絡み?
来週の水曜日には日本へ戻るそうです。
【民主主義のメリット】
・多様な価値観が共存可能
・平和的な政権交代が可能
・権力濫用の抑止力が機能する
・個人の自由と基本的人権の保障
・国民の意思が政治に反映されやすい
・為政者の正統性が国民の支持により担保される
【民主主義のデメリット】
・意思決定に時間がかかり機動的な対応が難しい
・選挙を意識するあまり短期的な利益誘導に走りやすい
・国民の知識や関心が低い場合、衆愚政治に陥る危険がある
・国家全体としての明確なビジョンや戦略を打ち出しにくい
・多数派の専制により少数派の意見が抑圧される可能性がある
・ポピュリズム (大衆迎合主義) が蔓延し長期的視点に立った政策が困難になる
民主主義と賢人政治を定義する
田川
それでは本日のパネリストお2人と、心強い特別ゲストをご紹介します。
民主主義肯定派:東 誠 (あずま まこと)
・政治学者
・NPO法人デモクラシー・フォワード代表
・著作『サイレントマジョリティーの覚醒』
・市民参加型民主主義の実現を目指す
民主主義懐疑派:龍崎 剛 (りゅうざき ごう)
・思想家
・国家戦略コンサルタント
・著作『決断できない国家』
・賢人政治の必要性を説く
特別ゲスト:福沢 諭吉 (ふくざわ ゆきち:1835-1901)
・教育家
・啓蒙思想家
・個人の独立自尊が国家の独立に繋がると説き近代日本の礎を築いた
・著作『福翁自伝』『学問のすゝめ』『文明論之概略』など多数
https://www.keio-up.co.jp/np/search_result.do?mgen_id=604&limit=50&page=2
【おことわり】
ヒルガチは架空の番組ですが福沢 諭吉氏は実在した人物です。プロフィールは史実に基づき記述しています。番組内での発言は氏の文献から想定される思想を基にゲンカイモンが創作したものです。実際にこのような発言をした記録はありません。ご了承のうえお読み下さい。
田川
さて、東さん、龍崎さん、そして福沢先生。
議論の前提として、民主主義とは何か確認しておきたい。
この役目は東さんがいいかな?
東さん、お願いします。
東
はい、かしこまりました。
デモクラシーの語源は古代ギリシャ語のデモス (Demos:人民) とクラティア (Kratia:権力) を融合した、デモクラティア (dēmokratia) に由来します。
人民による権力を意味し、その原型は古代アテネの直接民主制に遡ります。
近代以降「人民の、人民による、人民のための政治」というリンカーンの言葉に象徴されるよう、国民が主権者となり自らの代表者を選挙で選び、議会を通じ統治を行う間接民主制が主流となりました。
その根幹には個人の尊厳と自由、そして誰もが政治に参加する権利を持つという理念が存在します。
龍崎
東さんの説明は教科書的にはその通りでしょう。
ただし、その人民が常に理性的で国全体の利益を考えて判断できるという前提が、現代においてぐらぐらと揺らいでいる。
民主主義の定義を語るなら、その理想と衆愚化という病理はセットで語られるべきです。
田川
龍崎さんにお聞きしたい。
あなたは賢人政治というものを推奨していますが、視聴者はおそらくその内容がわからないと思います。
私もわからない (笑)。
簡潔に説明してくれますか。
龍崎
わかりました。
賢人政治の概念は、プラトン哲学の哲人王思想から発想を得ています。
優れた知恵を備えたイデア (真なる善の形相) を認識する哲学者が、国家の最高統治者となるべきだとする政治理念です。
私はその思想を3つに凝縮しました。
1つ目ですが、田川さん、船旅をするとき誰に舵をとって欲しいですか?
航海術に精通した専門家ではありませんか?
この専門家が私が言う賢人です。
多数決で決めてもしも靴職人が船長になったら、船が港に到着する保証はありません。
2つ目は、人間、誰しも欲があります。
人気を集めるため国民の欲望を満たすことを気にかけ、バラマキばかりする政治家がいたらどうでしょう。
これがいわゆるポピュリズム (大衆迎合主義) です。
理性で動き正しい判断ができるのが賢人です。
3つ目に、何か不正 (公職選挙法違反など) が発覚しても、権力の座に執着する政治家がたくさんいます。
辞めたくないものだから引き際、往生際が悪い奴らです。
賢人は権力に執着しません。
国民のために仕方なくリーダーの座を引き受けているからです。
だから、汚職や不正をする動機が生まれない。
権力に強い執着心を持つ人間がその座に就いたら国民はとても不幸になるでしょう。
この3つの条件を兼ね備える者が権力を行使し責任を負う、それが賢人政治です。
田川
大変、わかりやすかった。
視聴者もこれなら理解できたと思います。
福沢
うむ、面白い議論じゃ。
そもそも、儂 (わし) の時代に考えたのは、国民一人ひとりが賢くならねば国は成り立たぬということじゃ。
「学問のすゝめ」で説いたのはまさしくその点にある。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
こう言うたが、それは生まれながらにしての権利が平等という意味じゃ。
しかし、学問に励み、物事の道理をわきまえた者と、そうでない者との間には知恵と品格において雲泥の差が生まれる。
主権者たる国民自身が賢明で独立した精神を持つこと、それが民主主義を機能させる前提となるのは論を俟 (ま) たない。
前提が崩れたとき、民主主義は衆愚化するという龍崎くんの主張は的を射ているであろう。
田川
なるほど、最初から核心を突く意見だ。
民主主義を運用する人間の品格が問われる……と。
この点は重要な論点になりそうです。
有効性の現実!なぜ民主主義は支持されるのか?
田川
次に、民主主義がなぜ世界で支持され理想とされるのか?
東さん、最大のメリットは何だとお考えですか?
東
最大のメリットは個人の自由と人権を最大限に尊重し、権力の暴走を制度的に防ぐ点にあります。
独裁国家では為政者の一存で国民の財産や生命が脅かされますが、民主主義国家では法の支配と三権分立がそれを許しません。
また、言論の自由の保障のもとで政府の誤りを国民が批判し、選挙を通じ平和理に政権を交代させられる。
これは、血を流さずに社会を修正していける、人類が発明した極めて優れたメカニズムです。
龍崎
平和的政権交代、おおいに結構ですな。
しかし、その交代が頻繁に起こることで、国家としての長期戦略が寸断されるデメリットはどうお考えでしょう。
100年先を見据えたエネルギー政策や国土計画も、選挙で政権が変わればリセットされかねない。
また、言論の自由は時に根拠のないフェイクニュースや陰謀論を拡散させ、社会を分断する凶器にもなりうる。
自由というメリットの裏には、常に衆愚化と不安定化という深刻なリスクが潜んでいるのです。
福沢
儂は「一身独立して一国独立する」と説いた。
個々人が政府に頼るのではなく、自らの才覚と努力で身を立てる気概を持つ。
それができて初めて国全体が力強く独立できる。
民主主義が与える自由の意義は、「独立自尊」の精神を育む土壌としての価値にある。
じゃがその自由を履き違え、ただ権利を主張するだけで義務を果たさず、国の行く末を他人に任せきりにする人民が増えれば、その国は自ずと内から腐敗していく。
自由という道具を使いこなせるかどうか、そこが肝心じゃな。
田川
自由と権利には「それを正しく行使するための知性と責任が伴うべき」という福沢先生のご指摘。
龍崎さんの懸念も、その責任が果たされない場合の危うさを指摘している。
世界の潮流に見る民主主義の多様なカタチ
田川
少し視点を広げ、世界と日本を比較してみたい。
龍崎さんが適任かな?
世界の民主主義の現況を簡潔に解説してくれますか。
龍崎
わかりました。
スウェーデンのV-Dem研究所が発表した、2024年の報告書「V-Dem Institute 2024」によると、世界の民主主義レベルは1985年の水準まで後退したと評価しています。
権威主義的な国家が増加するなか、民主主義国家内でもその質が劣化している。
一方、国民投票を頻繁に行うスイスの直接民主制や、IT技術を駆使し民意を集約する台湾のデジタル民主主義など、国民との新たな関係構築を模索する国もありますが……。
翻って我が日本の現況を鑑みるとどうでしょう。
総務省の発表では、令和6年10月に行われた第50回の衆議院議員総選挙の投票率が53.85%、令和4年7月に行われた第26回参議院議員通常選挙では52.05%と変わらず低水準です。
半数近い国民が主権者としての権利を放棄しているに等しいこの現状は、民主主義の空洞化であり極めて危険な兆候です。
東
確かに低投票率は深刻な問題です。
しかし、それを理由に民主主義そのものを否定するのは早計でしょう。
問題は制度ではなく、政治を自分ごととして捉えられないでいる国民の意識。
そして、そうさせている政治、及び政治家の側に問題があります。
私のNPOでは地域の課題を住民参加のワークショップで解決する、「※ ミニ・パブリックス」を行っていますが参加者は互いに意見を出し合い驚くほど建設的な議論が展開します。
※ミニ・パブリックス:無作為抽出による少人数グループが十分な専門的情報を得て熟議を行い、提言を策定して公共政策の検討過程へ反映させる取組み
政治との接点を増やし成功体験を積むことで、主権者意識は必ず醸成できると確信しています。
福沢
日本の現状は嘆かわしいのう。
わしが慶應義塾を創ったのは西洋の学問を学び、自ら考え判断できる人間を育てるためじゃった。
今の日本には立派な大学は数あれど、国民全体の知的水準、特に政治や社会に対する見識が十分に高まっているとは言えん。
政府のやることに文句は言うが「私ならこうする!」という対案を持つ者が少ない。
批判だけなら猿でもできる。
海外の制度を比較するのもよいがまずは足元、日本人の国民一人ひとりの学ぶ心をどう育てるか。
そこから始めねば、どんな立派な制度も絵に描いた餅じゃ。
田川
民主主義の後退という世界的潮流、そして、日本の政治的無関心。
特に若い世代の低投票率が深刻と……。
これらの課題をどう克服していくのか。
ミニ・パブリックスのような草の根の活動、福沢先生が仰る学ぶ心、すなわち、教育の重要性が浮き彫りになってきました。
民主主義の裏の顔 衆愚政治とポピュリズムの罠!
田川
さて、龍崎さんが再三指摘されている民主主義のデメリット、衆愚政治とポピュリズムについてさらに深く掘り下げたい。
龍崎さん、詳しく教えて下さい。
龍崎
はい。
プラトンがいみじくも自著「国家」において喝破しましたが、民主主義は放置すれば必ず衆愚政治に行き着く。
大多数の民衆は、耳触りのよい公約を掲げるデマゴーグ (民衆扇動家:国民の感情、恐れ、偏見、無知に訴える事で権力を得て政治的目的を達成しようとする) の影響を受けやすいためです。
国の将来に必要な痛みを伴う改革を訴える誠実な政治家より、目先の利益を約束するポピュリストが選挙で勝つ。
結果、財政は悪化し国力は衰退する。
これは歴史が証明する普遍的法則です。
まさに、歴史は今現在も繰り返されている。
我々はこの構造的欠陥から目を背けてはなりません。
東
それは民主主義の欠陥ではなく、民主主義が未成熟であることの証左です!
ポピュリズムが台頭するのは、既存の政治家が国民の声に耳を傾けてこなかったからに他ならない。
国民を愚か者、未熟者と見下すエリート主義こそが国民と政治の間に溝を作り、ポピュリストが入り込む隙を与えるのです。
必要なのは国民を信じ対話を尽くし、政策への理解を求める地道な努力です。
国民は愚かではない。
正しい情報と考える機会さえ与えられれば、必ず賢明な判断を下せると私は信じます。
龍崎
信じる?
あんた、本気で言っているのか?
政治は願望や理想論だけで動くわけじゃないんだよ!
あんたが言う正しい情報とは何だ?
ネットにはデマが溢れ、人々は自分の見たい情報しか見ない。
そんな状況で、どうやって国民が賢明な判断を下せると言うんだ!
あんたのやってることはただの自己満足のままごとなんだよ!
東
ままごとだと、ふざけるな!
あんたのように国民を見下し、一部のエリートにすべてを任せろという発想こそ独裁への第一歩だろう!
現場で人々の声を聞き、その切実な思いを政策に繋げようと汗を流している人たちの活動を何も知らないあんたに、「ままごと」呼ばわりされる筋合いはない!
侮辱するのも大概にろ!
田川
はい、わかった!
2人ともそこまで!
ここは議論の場。
感情的な罵り合いを視聴者は望んでいません。
互いの意見に敬意を払い、冷静に議論を進めてください。
いいですね?
龍崎
申し訳ありません。
つい熱くなり過ぎました。
東
はい。
失礼いたしました。
福沢
うむ。
議論が白熱するのはよいことじゃ。
じゃが相手の思想、価値観を攻撃の対象としてはならん。
これも「ディベート」という学問の基本じゃ。
何に重きを置くか、人それぞれ異なるからのう。
ポピュリズムの問題は結局のところ、人民が物事の理非曲直 (りひきょくちょく:道理に適っていることと適っていないこと) を判断する能力を持つかどうかにかかっている。
甘い言葉に騙されるのはその政策が長期的にもたらす結果を想像する力、つまり先見の明が欠けているからじゃ。
この力を養うのがやはり学問の役割なのじゃよ。
田川
ありがとうございます、福沢先生。
お二人も落ち着きを取り戻したところで、スタジオの皆さんのご意見を伺ってみましょう。
スタジオゲストが語る理想の政治
田川
ここからはスタジオの様々な世代、様々なご職業の皆さんにマイクを向けたいと思います。
まず、登録者数100万人を超える人気ユーチューバーのタケチャンネルさん。
若い世代は今の政治をどう見ていますか?
タケチャンネル
はい、正直言って、僕らの世代は政治に期待してない子が多いですね。
選挙に行っても何も変わらないと思っている。
そもそも政治家が使う言葉が難しくてよくわからない。
勉強不足と言われればそれまでですが……。
僕の理想はSNSとかで政治家が直接、僕らの質問に答えてくれるような、わかりやすく距離が近い政治ですね。
若い世代を巻き込む工夫がなぜできないのかなぁー?
※オードリー・タンさんのように、テクノロジーを使って政治をもっと面白くしてほしいです。
※オードリー・タン (唐鳳):台湾の政治家。新設されたデジタル発展部 (數位發展部) で2022年から2024年まで初代デジタル発展部長 (大臣に相当) を務める
田川
なるほど。
若い人たちにとっては政治の「見える化」とわかりやすさなんだね。
次は参議院議員の山内さん。
現役の政治家として今の話どうですか?
山内
タケチャンネルさんの話、耳が痛いです。
我々、政治家の努力不足を痛感します。
言い訳に聞こえるのを承知して言わせて下さい。
現実の政治は多様な利害関係の調整の連続で、すべてを単純化してお伝えするのが非常に難しい。
例えば、ある政策は A の業界にはプラスでも、B の業界にはマイナスになる。
その痛みをどう分かち合ってもらうか。
丁寧に説明し理解を得るのも我々の仕事です。
理想は国民全員が納得する政治ですが、現実には「最大多数の最大幸福」を目指すしか方策がなく、その過程でこぼれ落ちる少数派から必ず批判は生まれる。
そのジレンマの中で日々格闘しているのが実情です。
田川
政治家のジレンマ、よくわかります。
言い訳に聞こえなかったから安心して (笑)。
では最後に元最高裁判事の伊集院さん。
法の番人として今の日本の民主主義をどうご覧になりますか?
伊集院
民主主義の根幹は多数決ではなく「法の支配」にあると考えます。
たとえ、国会の審議を通過し認可された法律でも、個人の基本的人権を侵害するならば司法の場で明確に否定する
それが最後の砦としての司法の役割です。
昨今、多数派 (マジョリティ) の意見を盾に、少数派 (マイノリティ) への配慮を欠くような風潮が見られますが、それは民主主義の自殺行為に他なりません。
多数派が常に自らを省み少数派の声に謙虚に耳を傾ける、「熟議民主主義 (じゅくぎみんしゅしゅぎ:熟慮し議論を重んじる民主主義の形態)」が私が思う理想の政治形態です。
時間はかかりますが、この丁寧なプロセスこそ社会の分断を防ぐ唯一の道だと信じています。
賢人政治か民意か? スタジオの声を受けて議論が白熱!
田川
ユーチューバー、政治家、元判事と、三者三様のご意見、非常に興味深いですね。
龍崎さん、今のスタジオゲストの意見を聞いていかがですか?
特に、タケチャンネルさんのような若い世代の政治離れは、あなたの言う「賢人政治」の必要性を後押しするかもしれません。
龍崎
その通りです。
政治が複雑で分かりにくいのは、まさに山内議員が仰る通り多様な利害調整が必要だからです。
それを万人が理解するのは不可能に近い。
ならば、伊集院さんが仰る「法の支配」を絶対の原則とし、その範囲内で国益に関する専門的知見を持つ賢人、政治のプロフェッショナル集団が迅速に意思決定を行う。
はるかに効率的で結果的に国民のためになる。
民意に問うべきは数年に一度、その賢人グループを信任するか否かだけで十分でしょう。
東
それは危険な考えです。
賢人とは一体誰が認定するのですか?
結局は、一部のエリート層による支配の正当化に過ぎません。
タケチャンネルさんの意見は政治離れではなく、政治への期待の裏返しです。
若い世代は旧態依然とした政治のやり方ではなく、SNSを含めた新しいコミュニケーションの様式を求めている。
山内議員の言う調整の難しさ。
これも、プロセスを透明化し国民と対話を重ねれば乗り越えられます。
伊集院さんからの提言。
「熟議民主主義」
これこそが目指すべき参加型民主主義の理想形です。
福沢
うむ。
龍崎君の言う「賢人政治」は聞こえはよいが、一歩間違えればただの独裁じゃ。
賢人が常に賢明である保証はどこにもないからのう。
権力は必ず腐敗するという前提を踏まえておらんと国策を誤る。
一方、東君の言う「参加型民主主義」は理想ではあるが、タケチャンネル君のような若者が政治を自分ごととして学ぶ仕組みがなければ、機能せずに終わってしまうやもしれん。
伊集院殿の「法の支配」「熟議民主主義」という指摘が、両者の議論のバランスを取る鍵となる気がするのう。
人民の自由闊達な発言を許容しつつ、決して超えてはならぬ一線 (人権侵害) を法で定め、その中で粘り強く話し合う。
まさに近代国家の要諦じゃ。
田川
賢人によるトップダウンか、市民参加によるボトムアップか。
しかし、そのどちらも「法の支配」という土台と、「熟議」というプロセスがなければ機能不全に陥るということですね。
福沢諭吉が予見する民主主義の未来を “学問のすゝめ” から読み解く
田川
福沢先生、議論が深まってまいりました。
先生の思想は、現代の民主主義の課題を乗り越えるヒントに満ちているように思います。
改めて、先生が考える理想の国民とはどのような姿なのでしょうか?
福沢
田川殿、難しいことを聞くよのう。
そなたの問いの答えとして適切かわからんが、わしが夢見たのは政府を恐れず、世間の風潮に流されず、自分自身の頭で物事を考え判断し行動する、「独立自尊」の精神を持つ人民の集まりじゃ。
それが理想の国家でなかろうか。
政府の悪政に対し腕力で騒ぎを起こすのではなく、道理を尽くして正々堂々と論じこれを正す。
それが真の「文明人」の姿じゃと思うぞ。
民主主義とはこうした「文明人」を育てるための、いわば壮大な教育の場であるはずじゃ。
選挙も議会も人民が国のあり方を学び、議論する学校のようなものじゃよ。
東
民主主義は教育の場、素晴らしい視点です。
まさにその通りだと思います。
失敗や回り道を繰り返しながらも、国民が議論に参加するプロセスそのものを通じ社会全体が成熟していく。
短期的な効率性だけを求めれば、その最も重要な学習の機会を失ってしまいます。
福沢先生の思想は、私の活動の大きな支えになります。
龍崎
うぅーん。
教育の場……ですか?
しかし、福沢先生、その学校の生徒たちが学ぶことを放棄し、赤点続きで落第寸前だとしたらどうでしょう。
先生はそれでも生徒の自主性に任せ続けるのですか?
時には経験豊富な教師が、ある程度の強制力をもって指導することも必要なのではないでしょうか。
私が言う「賢人」とはその教師役のことです。
国民の知性が追いつくまでの一時的な措置としてでも、そうした存在は必要だと考えます。
福沢
龍崎君の懸念はもっともじゃ。
儂は「学問のすゝめ」で学問をしない者は、無知蒙昧の民となり国を滅ぼすとまで言うた。
じゃが、その解決策は賢人による支配ではない。
あくまで、学ぶ機会の平等じゃ。
国民がなぜ学ばないのか?
その原因を取り除くのが政治家の役目じゃろう。
生活が苦しくて学ぶ余裕がないのか、政治家が信じられず学ぶ気力が起きないのか。
その根本原因に目を向けずただひたすら、「民は愚かだ」と切り捨てるのは為政者の怠慢に他ならん。
田川
制度の議論だけでなく、国民が学び成長できる社会的、経済的環境を整えることが政治の責務であると。
これは非常に本質的な指摘だ。
制限選挙は基本的人権を侵害するのか?
田川
さて、議論が白熱しているところですが、ここで視聴者の方から非常に刺激的なメールが届いています。
かなりの長文ですがノーカットでご紹介します。
ハンドルネーム、ガリベンさん
『 毎週、楽しく拝見しています。ガリベンと申します。東さんは、「その投票率の低さは深刻な問題です」とのことですが、私はそうは思いません。仮に投票率が上がっても、「政治への関心が薄く目先の損得勘定でしか判断しない有権者」の票が増えるだけでは意味がないからです。
しょせん彼らは知名度がある候補者、金をばら撒くことを公約にしている候補者、及び政党へ一票を投じるでしょう。それを衆愚政治というのか、ポピュリズムと言ったらよいのか……。だから、各政党は客寄せパンダとしてタレント候補者を擁立したがる。
政治能力が未知数なタレントに頼る政治家も短絡的ですが、そんな候補者に投票する国民もどうかと思います。ではどうすれはよいのか?誰が言ったか記憶が定かではありませんが、「年収、納税額、知能指数など、基本数値がある一定の基準をクリアした者に投票の権利を与える」という迷案?を聞いたことがあります。
「ほほぉ〜う、おもしれぇ〜こと言うねぇ~!」というのが私の第一印象でした。投票率を上げることよりも、横綱審議委員会の仕組みを参考にしてはいかがでしょう。各界の有識者から品格ある人たちが委員に選ばれます。品格ある横綱を選ぶわけですから、委員自身が品格を問われるのは当然です。
そんな委員が選んだ横綱だから国民は納得する。すなわち、品格ある国民のみに投票権を与えるのです。ただし、品格では抽象的なので前述した通り、納税額にするのか、知能指数にするのか、基準となる客観的で明確な数値を決めなければいけという課題は残りますが……。』
田川
ガリベンさん、ありがとうございます。
かなり踏み込んだ、しかし多くの方が一度は心の奥底で考えたことがあるかもしれない、非常に本質的なご意見ですね。
選挙権に一定の基準を設けるべきだという制限選挙。
そして、横綱審議委員会という具体的モデル。
これは龍崎さんの「賢人政治」に非常に近い考え方とも言えます。
まず龍崎さん、このご意見をどう受け止めますか?
龍崎
ガリベンさん、興味深いい提案、ありがとうございます。
私が申し上げたかったことの本質を、より鋭い言葉で表現してくださったように感じます。
「品格ある国民による選挙」
まさにこれこそが、衆愚政治を回避するための一つの具体的な処方箋です。
「横綱審議委員会」
この例えも的を射ています。
国家という土俵の最高指導者を選ぶのですから、その選定者が相応の見識を持つべきだ、という考え方は極めて合理的です。
しかし、ご自身が言われる通り最大の障壁は「基準となる客観的で明確な数値」をどう決めるか。
納税額を基準にすれば貧者の声は政治家へ届かない。
知能指数を基準にすれば高学歴エリートに独占され、中小零細企業の悩みや苦労が見えにくくなる。
この基準値設定の恣意性 (しいせい:論理的でない判断、他の意見を聞かない判断) と公平性をどう担保するのか?
このアイデアを実現するには、これらの課題克服が必須です。
田川
東さん、今、龍崎さんは欠陥を指摘しましたが、このメールの内容そのものにあなたは真っ向から反対されるでしょう。
いかがですか?
東
冗談じゃありません!
これは民主主義の完全な否定です。
ガリベンさんの政治への強い苛立ち、不信感は痛いほどわかります。
だからといって、それが参政権を奪う理由にはならない。
福沢先生が『学問のすゝめ』の冒頭で説かれたように、人の価値に生まれながらの上下はないのです。
納税額が多いから、知能指数が高いから、その人の一票が重くなるなどという考えは、優生思想にも繋がりかねない極めて危険な選民思想です。
投票率が低い問題は数が足りないからではありません。
政治に参加できない人が増えることでその人たちの声が政治に届かなくなり、社会から見捨てられてしまうからです。
解決策は人々を切り捨てることではない。
ガリベンさんのような強い問題意識を持つ方々を含め、いかに政治を自分ごととして関わってもらうか。
その対話の環境を粘り強く整備することが最善の道なのです!
福沢
うむ。
またも議論が熱を帯びてきたようじゃな。
ガリベン殿の意見、その心根はよく分かる。
わしも愚かなる民による政治は国を滅ぼすと、常々憂いておるからのう。
じゃが、その解決策が制限選挙というのはやはり違う。
わしが言うたのは、財産や身分で人を区別することではない。
学問によって見識を高めた者と、そうでない者とでは自ずと賢愚の差が生まれるということじゃ。
その差を生まれ持ったものとして固定化し、権利に優劣をつけることがあってはならぬ。
それこそが問題じや。
むしろ、その差を埋める努力をせねばならぬ。
つまり、誰もが学べる機会の保障こそが文明国の務めなのじゃ。
横綱審議委員会の例えは面白い。
じゃが、あれは相撲という、ある意味で閉じた専門の世界の名人たちの集まりじゃ。
国家の運営は様々な境遇の人々の多様な意識、日常の生活がかかっておる。
農夫の苦しみは農夫にしか分からんし、職人の苦労は職人にしか分からん。
一部の品格ある人々だけで国全体の幸福を正しく推し量ることなど、できはせんのじゃよ。
田川
ありがとうございます。
タケチャンネルさん、今の話どうですか?
投票するのに「政治の基礎知識テスト」があり、それに合格しないと投票できない、年収が一定額以下の人は投票できない、そんなルールになったとしたら。
タケチャンネル
えー、マジっすか!
超イヤな感じっすね。
合格しないと選挙権がもらえないなら、絶対試験なんか行かないですよ!
マジ、ウザいっす!
だって、金持ちのおっさんとか高学歴のエリートに若い子たちが勝てるわけないですもん。
もしそうなったら、僕らみたいな若者のこととか、どうでもよくなっちゃうんじゃないすか?
それこそ、未来がないクソゲーが始まる感じしかしないっすよ!
田川
山内議員、政治の現場から見て、こうした制限選挙論が出てくる背景をどう思われますか?
山内
ガリベンさんのご意見は、我々政治家に対する叱咤激励だと受け止めております。
国民の皆様に「この人たちに国の舵取りは任せられない!」とそこまで思わせてしまっている。
すべては我々、政治家の責任です。
しかし、それをもってして選挙権の制限につなげるのは、民主主義国家の政治家として決して賛同できるものではない。
それは、民主主義そのものからの逃亡です。
我々政治家がなすべきは、ガリベンさんのような厳しい目を持つ国民から再び信頼を得ること。
国の代表にふさわしい、この人に任せたいと心から思っていただけるような骨太な政策、誠実な行動を示し続ける。
その一点に尽きると、改めて肝に銘じました。
田川
なるほど。
「投票権を制限すべきだ!」
この過激な提案。
しかしその裏には、根深い政治不信とこの国を憂う強い思いがある。
これは単なる制度論ではなく、国民一人ひとりがどう政治と向き合うべきなのか。
福沢先生の言葉を借りれば、「国民の品格」が問われているのかもしれません。
投票権獲得試験を考察する
田川
ガリベンさんから続けてメールが来ました。
これが生放送の醍醐味なんだよね。
これは、前のメールへの反論を踏まえた、さらに精緻な再提案ですね。
非常に興味深い。
ご紹介します。
「ガリベンです。取り上げていただきありがとうございます。東さんの、『納税額が多いから、知能指数が高いから、その人の一票が重くなるなどという考えは、優生思想にも繋がりかねない極めて危険な選民思想です。』というご意見は賛同いたします。異論ございません。
私の提案はあくまで、「客観的に明確化できる数値を指定しその基準をクリアした者」に投票資格を与えるのです。納税額や知能指数は1つの例に過ぎません。「客観的に明確化できる数値」が問題だと東さんはおっしゃるでしょう。国勢調査のデータなのか、様々な基準があってしかるべきです。
低所得者の声が反映されないとおっしゃるなら、逆に年収が500万円以下という基準にするとか……。これをどのように決めるかが悩ましい課題です。東さんにも決定会議 (仮称) にご参加いただき、アイディアを提供する側に回っていただければよろしいかと思います。
福沢諭吉先生がおっしゃるように、「権利に優劣をつけることではない。むしろ、その差を埋める努力をすること、つまり、誰もが学べる機会を保障する」ためにも、「客観的に明確化できる数値」による投票権獲得試験が有効なのです。国民は試験に合格しようと学ぶようになりますから。
今の有権者は、「権利を正しく行使できるだけの見識と独立心」を持っているとは思えません。有権者は何かきっかけがなければ、晩ご飯のおかずばかりが気になり、政治や社会問題に関心など持たないんです。日々の生活で精一杯。仕事で体も心も疲れ果て、そんなことに構っている時間などない。すべて他人事 (ひとごと) です。
自分事として考えてもらうためにも、投票権獲得試験は有効です。そして、「客観的に明確化できる数値の基準」が確定したら全国民に公表します。さらに、重要なことは権利獲得者数に制限を設けないこと。基準となる、「客観的に明確化できる数値」をクリアした人は誰でも投票権を得ることができる。
日本の有権者 (18歳以上) は約1億500万人ですが、みんなが合格すれば制限選挙にすらなりません。逆に言うと誰もがクリアできるほど試験の難易度を低くするということです 。」
田川
なるほど。
これは単純な制限選挙論ではない。
投票権を獲得するための試験や基準を設けることで、「国民に政治を自分ごととして学ぶきっかけを用意するべき!」という主張ですね。
しかも、試験の難易度は理論上、全員がクリア可能なほど低い……と。
東さん、名指しで「決定会議への参加」を求められていますがいかがでしょう。
一見、国民の政治意識を高めるための教育的措置のようにも聞こえますが。
東
論点を巧妙にすり替えていますね。
本質は何も変わらない。
これは民主主義の根幹を揺るがす極めて危険な思想です。
まず、「客観的に明確化できる数値」などというものは幻想です。
ガリベンさんは例として「年収500万円以下」を挙げましたがその瞬間、「年収501万円以上の人」の声が排除される論理が生まれる。
どんな基準を設けようと必ず排除される人々が生まれるのです。
そして最も賛同しがたいのは、人が生まれながらに保持する基本的人権である参政権を、試験に合格すれば与えるご褒美のように扱っている点。
これは、参政権という人参を鼻先にぶら下げ、国家が国民を「格付け」するに等しい。
合格者と不合格者。
その間に生まれる断絶と差別意識をガリベンさんは想像しましたか?
それは品格とは正反対の社会の分断を決定的にする行為です。
福沢先生の言葉を借りるなら、それは「学ぶ機会の保障」ではなく、「学ばない者を罰する」制度に他なりません。
動機付けという名の国家による脅しです!
龍崎
いや、待ってください、東さん。
少し冷静になりましょう。
私はガリベンさんの提案、非常に刺激を受けました。
これは単なるエリート支配の推奨ではない。
政治的無関心という病に対する、一種のショック療法の提案です。
東さんが言う対話や教育がこの数十年間、十分な成果を上げられなかったのは、特に若い世代の低投票率が証明しています。
※ 投票率
・第50回衆議院議員総選挙 (令和6年10月):全年代を通じた投票率 53.85%に対し10歳代 39.43%、20歳代 34.62%。
・第27回参議院議員通常選挙 (令和7年7月):全年代を通じた投票率 58.51%に対し10歳代 41.74%、20歳代 35~41%
国民の学習意欲に火をつけるための「投票権獲得試験」はきっと機能するはずです。
もちろん、基準の恣意性という問題は残る。
しかし、それは「決定会議」でとことん議論すればいい。
例えば、憲法の基本原則や選挙制度の仕組みなど、ごくごく基礎的な知識を問う簡単なテストでいい。
そして、重要なのは、この試験は国民を「格付け」するのが目的ではない。
誰でもクリアできるほど難易度が低いわけですから。
あくまで、政治的無関心から脱却させるのが目的の教育的措置と考えられる。
教育の一環ですから義務教育のようなもの、基本的人権の侵害に当たる懸念もありません。
福沢
龍崎くん、儂の考えは違う。
ガリベン殿は、儂の言葉を都合よく解釈しておる。
わしが説いた「学問」とは、国家から与えられる「試験に受かるための勉強」ではない。
自らの頭で考え物事の道理をわきまえ、何が正しく何が間違っているかを判断する力を養うことじゃ。
それがわしの言う学問であり「独立自尊」の精神の源じゃ。
国家が基準を定め、それに合格せねば権利を与えぬというのは、人民を国家に従属させる思想であり、わしが目指した「独立した個人」の姿とは正反対じゃ。
きっかけがなければ学ばないという、ガリベン殿の嘆きはよくわかる。
じゃが、そのきっかけを権利の剥奪をちらつかせる「鞭」で作ってはならん。
それは人民の自発的な精神を殺ぎ、ただ試験をパスするだけの中身のない人間を増やすだけじゃ。
真の教育とは知ることの喜び、考えることの楽しさを教え、内なる探究心に火を点ける「アメ」で用いられなければならんのじゃよ。
田川
先生、示唆に富むご意見、ありがとうございます。
ガリベンさんの問題提起は、我々に「国民の品格」という重い課題を突きつけました。
しかし、その解決策として「選挙権獲得試験」という手法を取ることは、民主主義や憲法の理念そのものと衝突するという厳しい意見が出揃いました。
政治的無関心という病を治すために、我々は「鞭」を手に取るのか、それとも福沢先生の言う「アメ」すなわち、教育や環境の整備にさらに粘り強く取り組むべきなのか。
議論はより本質的な地点にたどり着いたようです。
年齢制限という国家の格付け
スタッフ
(CM明けにソクラテスのコーナーへ行くよう田川へカンペで指示を出す)
田川
(え? もうそんな時間? でもここで止めるわけにはいかないだろう。ゲンカイモンプロデューサーとアイコンタクト、放送時間延長の許可を得る)
皆さん、またしてもガリベンさんからメールが届きました。
東さんの先ほどの反論に対する、ダイレクトなカウンターパンチです。
非常に鋭い。
読み上げます。
「三度 (みたび) 失礼します。参政権という、人が生まれながらに持つべき基本的人権を、『試験に合格すれば与えるというご褒美のように扱っている』とおっしゃいますが、現行でも18歳以上と制限があります。すなわち、18歳未満の国民の声は届かない。
しかし、「選挙権獲得試験」に合格すれば、15歳であろうと10歳であろうと投票権を得る可能性が理論上ゼロではない。世の中には、大人もビックリする知識と才能を持つ子供たちがたくさんいます。年齢が18歳に満たないことを根拠に投票する権利を制限する現行の法律は、明らかに矛盾しています。」
田川
いやはや、これは痛いところを突いてきました。
東さん、あなたは「参政権は基本的人権だから国家が国民を格付けしてはならない!」とおっしゃった。
では現行の「18歳以上」という年齢制限は、国家による「格付け」ではないのかという指摘。
この矛盾をどう説明されますか?
東
うぅーん。
ガリベンさん、ありがとうございます。
確かに、これは民主政治が抱える根源的な問いの一つです。
しかし、年齢による制限と試験による制限は、似て非なるもの、いや、やはり全く性質が異なる。
第一に、年齢は誰にでも平等に訪れる普遍的な基準です。
経済的な格差や受けた教育のレベル、個人の能力に関係なく、時が経てば誰もが必ず18歳という条件がクリアできる。
つまり、年齢制限は誰かを永久に政治参加から排除しえない。
しかし、あなたの試験制度は違う。
合否で人を選別し、能力や環境によっては永久に合格できないかもしれない。
これは、国民の間に固定的な身分差を作り出すことに他なりません。
第ニに年齢制限は、政治的意思決定に参加するために必要とされる、ある程度の精神的成熟度に達しているであろうという社会的な合意、一種の蓋然性に基づいています。
個人の能力を一人ひとりテストするのではなく、社会全体の安定のために設けられた便宜上の一線です。
一方、ガリベンさんの提案は能力差で個人を選別する思想です。
才能ある10歳を認めるために、政治に関心を持つ機会がなかった50歳を試験に不合格だからと切り捨てる。
そんな社会が健全だと言えるでしょうか?
龍崎
東さん、その説明は苦しいですね。
「社会的な合意」
「一種の蓋然性」
「便宜上の一線」
どの線引きにも絶対的な根拠はないと、ご自身で認めているようなものではありませんか。
17歳と364日の人間と18歳になったばかりの人間、この2人の政治判断能力の明確な差を科学的に証明できますか?
結局のところ年齢制限もまた、恣意的な線引きの一つなんです。
ガリベンさんの指摘は、その民主主義が内包する欺瞞を暴いている。
線引きが恣意的であるならば「その基準を年齢にするのか、あるいは国益を考える意思や能力にするのか!」どちらがより国家にとり合理的か、という議論があってしかるべきです。
私はガリベンさんの問題提起により本質的な魅力を感じますね。
福沢
はっはっは!
龍崎君は相変わらず理屈の刃が鋭いのう。
じゃが、物事の本質を見誤ってはいかん。
年齢の線引き、試験による選別。
この二つの相違は何か。
それはな、差別の意図があるかないかじゃよ。
年齢という門は万人に開かれておる。
今は通れなくとも時が来れば誰でも通れる。
門の前に番人はおらん。
じゃが、ガリベン殿の言う試験は門の前に番人を立たせるようなものじゃ。
番人 (国家) の基準一つである者は通し、ある者は永久に通せんぼする。
これは人を選び分けるという、明確な差別の意図が内包されておる。
それに、才能豊かな子供の話だがな。
儂は若者が学ぶことの重要性を誰よりも理解しておる。
じゃが、政治への参加には知識だけでなく、多様な人々の暮らしや痛みを想像する経験と円熟が必要じゃ。
若き才能はまず見聞を広め、社会の複雑さを学び、自身を磨くことに時を使うべきじゃ。
焦ることはない。
国家百年の計は一夜にしてならず、じゃよ。
伊集院
(挙手しながら席を立ち田川へアピール)
田川
伊集院さん、何か言いたいことがあるの?
彼にマイク回して!
どうぞ、発言して下さい。
伊集院
元最高裁判事として、法的な観点から補足をさせていただきます。
年齢制限は裁判所の判例上、合理的区別と解釈されています。
これは立法目的、この場合は選挙人の判断能力を一定程度担保する目的と年齢という基準との間に、社会通念上、合理的な関連性が認められる区別です。
すなわち、年齢による制限は憲法14条が禁じる不合理な差別には当たらない、というのが確立された考え方です。
一方で、ガリベンさんが提案するような、納税額、ましてや内容が不明瞭な「選挙権獲得試験」による区別は、この合理性が著しく欠けると判断され、結果、違憲無効となる可能性が極めて高いでしょう。
才能ある子供を一人認めるために、先人たちが血と涙で勝ち取ってきた普通選挙という憲法上の大原則を破壊することは、法治国家として到底許されるものではありません。
田川
よくわかりました。
ガリベンさんの鋭いご指摘をきっかけに、我々が当たり前だと思っていた年齢制限という制度の奥にある理念、さらには法的根拠までをも深く考えることができました。
一見すると同じ制限に見えても、その性質には決定的な違いがある、ということが理解できます。
最後の問い、憲法を疑え!
田川
皆さん、放送時間がオーバーしているところ申し訳ない。
再度、ガリベンさんから、伊集院さんのご意見に真っ向から反論するメールが届きました。
これはもう、今日の議論の核心に触れる内容です。
ここでやめるわけにはいかない!
続けます。
「 ガリベンです。伊集院さんは、『先人たちが血と涙で勝ち取ってきた憲法上の大原則』とおっしゃいますが、自由と権利のために血を流したその先人たちは、アメリカ人に他なりません。日本人は血も汗も涙も一滴たりとも流していない。
現憲法はアメリカ人が作り上げ、それを終戦とともにありがたく頂戴し、戦後80年もの間一字一句変えることなく、思考停止状態で今日まで守って来たものです。そんな憲法を根拠に、「才能ある子供を一人認める」ことすらできないなら、憲法を改正しろと言いたい!」
(スタジオが静まり返る)
田川
ガリベンさん、ありがとうございます。
いわゆる「押し付け憲法論」そして、「思考停止」という非常に強い言葉を使って、議論の前提そのものを問い直してきました。
伊集院さん、名指しでのご批判です。
いかがでしょうか。
伊集院
お答えします。
(静かに、しかし強い意志を目に宿して……)
ガリベンさんがおっしゃる「制定の経緯」は歴史的事実です。
しかし、その事実をもって、日本国憲法が保障する理念や基本的人権までをも否定する論理には、私は断固として同意できません。
私が申し上げた「先人たちの血と涙」という言葉は、GHQの起草者たちだけに向けたものではありません。
むしろ、この憲法の下で二度と戦争を繰り返すまいと誓い、言論の自由を守り、基本的人権を社会に根付かせようと努力してきた、戦後日本の幾多の市井の人々、学者、法曹家、そして政治家、そのすべての日本人の営み、その80年以上にわたる積み重ねに対し申し上げたつもりです。
法にはその制定の経緯以上に、「国民に受け入れられ、社会の基盤として機能してきたという事実が重みを持つ」という考え方があります。
この憲法はもはや単なる輸入品ではない。
戦後日本の平和と繁栄を支えてきた、我々自身の歴史そのものなのです。
それを「思考停止」と断じるのは、先人たちの営みに対するあまりにも乱暴な評価ではないでしょうか。
龍崎
いや、伊集院さん、その意見こそがまさにガリベンさんが指摘する「思考停止」の典型なんですよ!
過去の実績を盾に現状の不備から目を背ける。
80年以上も前に作られた基本設計が、現代のグローバル社会、ネット社会の実情に合わないのは自明の理。
それを「時代に合わせて見直そう!」「18歳以下にも選挙権を与えよう」という声に対しすぐに、「理念の否定だ!」「先人たちへの冒涜だ!」とレッテルを貼って議論を封殺しようとする。
その硬直した姿勢こそが日本の変革を妨げている元凶です。
憲法改正は国家の OS (Operating System:パソコンの基本ソフトウェア) をアップデートする当然の権利であり、国民の義務でさえある。
私はガリベンさんの問題提起を全面的に支持します!
東
憲法改正が国民の義務だと!?
冗談じゃない!
あんたは根本的に間違っている!
憲法はパソコンじゃないんだ!
何がアップデートだ!
憲法は我々が守るべき、普遍的な人権の砦だ!
その成り立ちがどうであれ、この憲法が戦後の日本の平和主義と個人の尊厳を守ってきたという事実は動かない!
「才能ある子供を認める」
一見もっともらしい理屈のために、普通選挙という民主主義の根幹、そして立憲主義の土台を破壊していいはずがない!
改憲を議論することとその理念を破壊することは全く違う!
福沢
取り乱すでない!
お主ら!
(福沢の一喝にスタジオが静まり返る)
ガリベン殿の最後の問い、実に面白い。
わしの心に深く突き刺さったわい。
誰が作ったか、いつ作られたか、そんなことは些末なことじゃ。
肝心なのはただ一つ。
この憲法が今の日本の民の「独立自尊の精神を真に体現しておるか」ということじゃ。
アメリカに作られたものだからと卑下する、一字一句変えられぬ聖典だと崇める、どちらも等しく自らの頭で考えておらん思考停止の状態じゃ。
どちらも、他人に判断を委ねておる点で何ら変わりはない。
わしが最も憂うのは、国民自身がこの国の根本の法について語り合うことをやめてしまうことじゃ。
改正するのか、変えるべきではないのか?
賛成も反対も大いに議論すればよい。
議論そのものが人民を賢くし国を強くする。
「護憲だ!」
「改憲しろ!」
「改悪を止めろ!」
言うのは自由じゃが、政治家も国民も真に憲法を理解しているか、はなはだ怪しいものよのう。
まずはお主ら一人ひとりがこの憲法を隅から隅まで読み、学び、友と語り、そして自らの言葉で「我が国の憲法はこうあるべきだ!」と語れるようになる。
それこそが、血を流さずしてこの国をよくしていく、真の文明人の知恵ではあるまいか。
民主主義を “最善” にするための道筋
田川
福沢先生、ありがとうございます。
さて、今日はガリベンさんの一通のメールから始まった、根源的な問題提起のため30分延長しましたが、それでもあっという間にエンディングを迎えてしまいました。
さすがにここまでが限界だよね?
ゲンカイモンさん。
私もこれ以上、体力がもたないな (笑)。
「民主主義という政治制度は最善か?」
この根源的問いから始まった今日の「ヒルガチ」ですが、最終的には憲法論、そして我々日本人一人ひとりの主体性を問うところまで行き着きました。
絶対の正解はありません。
しかし、私たちは今日、非常に重要な視点を手に入れたように思います。
それは、常識を疑う、多数決を疑う、そして何より、「民主主義を疑わない思考停止している自分自身」を疑う。
その知的な営みこそが民主主義を最善なものへと昇華させる、唯一の道なのかもしれません。
お二方、今日の議論を振り返り最後に一言ずつお願いします。
東
まず、ところどころ言葉が過ぎたことを龍崎さん、視聴者の方々にお詫び申し上げます。
龍崎さんと議論し民主主義の脆弱性、理想だけでは乗り越えられない現実の壁があることを改めて痛感しました。
それでも私は国民が持つ可能性を信じたい。
民主主義は完成された制度ではなく、私たち自身の手で常によりよいものへと進化発展させるべきもの。
その対話のプロセス自体に価値があるのだと、今日確信を深めました。
龍崎
こちらこそ熱くなり過ぎました。
申し訳ない。
私も東さんの情熱、福沢先生の国民の知性を育むという視点に触れ、効率性だけを追求する自らの考えの硬直性を反省させられました。
「賢人政治」
この発想は国民との信頼関係なくしては成立し得ない。
対立する意見の中にこそ自らの思想を補完するヒントがある。
今日はその対話の重要性を学ぶ非常に有意義な時間でした。
感謝申し上げたい。
ありがとうございました。
田川
いやぁー、延長お疲れ様でした。
生放送ならではだね。
この業界長いけれど、30分の延長は初めての経験ですよ。
スポーツ中継以外ではめったにお目にかかれない。
民主主義という制度が最善か否か、その問いに唯一絶対の答えはありません。
ただし、こうして立場を超えて真剣に議論し互いの意見に耳を傾け、より最善な答えを模索し続ける。
その営みこそが我々が守り育てていくべき「民主主義の本質」なのかもしれません。
本日も昼から生でガチバトルしていただき、ありがとうございました。
名誉顧問の特別コーナー 哲学者ソクラテスの私ならこうする
田川
さて、みなさんお待ちかね、今週もこの時間がやってまいりました。
常識の枠を超えるための思考実験のコーナーです。
偉大なる哲人の知恵をお借りし、この複雑な問題を哲学の視点で考察してみましょう。
恐子さん、長らくお待たせしちゃいましたね。
八戸市から来てくださいました「ヒルガチ」のアイドル、イタコの恐子さんです!
恐子
どーも、わぁが恐子だす。
んだば、早速始めっぺ。
スタジオの熱気でもうソクラテス様がうずうずしてるみてぇだ。
田川
わかりました。
それでは、初めて下さい。
恐子
(目を閉じ深く息を吸い込む。ゆっくりと目を開くとその表情は荘厳なものへと変わる)
ソクラテス
田川よ、呼んだかね。
田川
はい、ソクラテス。
あなたが生きた古代アテネも民主制でした。
その経験も踏まえ、現代の我々にアドバイスをいただけますか?
ソクラテス
よかろう。
まず、制度が最善かどうかを問う前に、汝ら市民一人ひとりが「最善の市民」であるか問うべきだ。
私がアテネの市民に問い続けたのはただ一つ、「汝自身を知れ」ということだ。
自分が政治について、国について、何を知っていて、何を知らないのか。
その「無知の知」からすべては始まる。
「哲学者ソクラテスの私ならこうする!」
第1に自分の投票を「哲学」せよ。
次の選挙でなぜその候補者、その政党に一票を投じるのか。
その理由を誰かに説明できるかね?
「知り合いに頼まれたから!」
「握手したら何となくよさそうな人だったから!」
何を馬鹿な!
こんなことでは、船頭のいない船に乗るのと同義であるぞ。
自分の価値観、国の未来像と照らし合わせ、その一票の根拠を自らの言葉で語れるまで考え抜け。
第2に自分と違う意見を歓迎せよ!
SNSで自分と同じ意見ばかり見るなら、魂の成長はそこで停滞する。
あえて反対意見を持つ者の主張を読み、聞き、なぜそう考えるのかを思考せよ。
汝が憎むべきは異なる意見を持つ隣人ではなく、汝自身の思考停止と心得よ。
第3に政治を語る場を日常に作れ。
政治の話はタブーかね?
なんと愚かな!
国のあり方を決める最も重要な対話を避けて、どうしてよい国が作れようか。
職場や友人、家族団欒の場で今日の討論のように国の未来について語り合うのだ。
答えを出す必要はない。
「より善く生きる」
この問いを共有すること自体が民主主義を鍛える最高の訓練なのだ。
制度はただの器にすぎん。
その器に何を注ぐかは、汝ら市民一人ひとりの魂のあり方にかかっているのだよ!
恐子
ふぅ〜。
(大きく息を吐くといつもの表情に戻る)
霧晴れて見えぬ道ここに現れん!
(テーマの問題が解決し進むべき進路が開けた)
田川
ソクラテス、ありがとう。
恐子さん、お疲れ様でした。
「民主主義は最善の政治制度か?」
こんな問いから始まった今日の議論はついには憲法論、そして我々日本人一人ひとりの品格を問うところまで行き着きました。
憲法改正は機会を改めてじっくりやるとして、今日の問いに対する絶対の答えはないのかもしれません。
しかし、私たちは今日、非常に重要な視座を手に入れたように思います。
それは、制度を疑い、常識を疑い、そして何より自分自身を疑う。
その知的な営みこそが民主主義を最善のものへと近づける、唯一の道なのかもしれません。
時間延長が夢のよう。
あっという間にエンディングのお時間です。
本日は、本当にありがとうございました。
来週の金曜日、またお会いしましょう。
【参考文献リスト】
・スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット『民主主義の死に方』 (2018年) 新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/507061/
・宇野重規『民主主義とは何か』 (2020年) 講談社現代新書
https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000324372
・吉田徹『ポピュリズムを考える:民主主義への再入門』 (2014年) NHKブックス
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000243007900000.html
・福沢諭吉 『学問のすゝめ』 (2009年) 慶應義塾大学出版会
https://www.keio-up.co.jp/np/search_result.do?mgen_id=604&limit=50&page=2
【論文・レポート】
・V-Dem Institute (2024) “Democracy Report 2024: Democracy Winning and Losing at the Ballot”. University of Gothenburg.
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4774409#
【統計データ】
・総務省統計局 「国政選挙の年代別投票率の推移について」https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/
【ゲンカイモン総括】
本日も「ヒルガチ」をご視聴いただき誠にありがとうございます。
民主主義という身近だがあまりに巨大なテーマ。
あって当たり前であるがゆえ、意識せず呼吸する空気のような存在。
MC田川、パネリストのお二方、さらには特別ゲストの福沢諭吉先生、4人の白熱した議論は私たちに多くの示唆を与えてくれました。
さらに、視聴者様からの一通のメールから展開した、民主主義から憲法の改正論議まで。
番組初の放送時間の延長という嬉しくも想定外なことも起こりました。
ガリベンさん、ご意見ありがとうございました。
現代社会はより複雑化し答えのない問いに満ちています。
与えられた情報を鵜呑みにせず「本当にそうか?」と自身に問い、多角的に物事を捉え自分の答えを導き出す。
そして、導き出したあなたの答えを何度も疑いましょう。
それが、クリティカルシンキングです。
本日の番組があなたにとって、当たり前を疑い思考を深めるきっかけとなるなら、制作者としてこれ以上の喜びはありません。
番組の最後に登場したソクラテスとイタコの恐子さんのコーナーは、一見、奇抜な演出に思われるでしょう。
これは、常識や固定観念からあなたを解放し物事の本質を突く、哲学的な問いを投げかけるための私の挑戦です。
古代の知性と対話する非日常な体験を通じ、あなたの思考が少しでも柔軟になることを意図しています。
対立を恐れず対話を諦めない。
その先にこそ、よりよい社会への道が拓けていると私は信じます。
これからの「ヒルガチ」にもどうぞご期待ください。
今日はここまで、来週の金曜日にお会いしましょう。
ごきげんよう!
ゲンカイモン
【より深くヒルガチを楽しむために】
初めて訪問された方は「ヒルガチの歩き方」をご覧ください。
【クリティカルシンキングを理解する】
クリティカルシンキングについて、「クリティカルシンキングを極める!」で解説しています。
【ゲンカイモン運営哲学】
なぜ、クリティカルシンキングスキルの鍛錬に討論が有効なのか? この答えは「ゲンカイモンの挑戦!」で詳述しています。
【免責事項】
本番組は正確を期すよう細心の注意を払い制作していますが、完全性、有用性を保証するものではありません。情報の利用により万一損害が生じた場合、筆者及びすべての本プログラム関係者は、一切の責任を負わないことをご了承ください。

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