昼から生でガチバトル(ヒルガチ)は実在しない架空の番組です。すべてゲンカイモンが創作したものであり、実在する人物、団体、書籍とは一切関係ありません。ただし、内容は参考文献に基づき正確性を期すよう、細心の注意をはらい制作しています。初めて訪問された方は「ヒルガチの歩き方」 をご覧ください。より深くヒルガチをお楽しみいただけます。
ようこそ、ヒルガチへ。
ゲンカイモンです。
現代社会において、正解のない問いに向き合う討論こそが、クリティカルシンキングスキル を磨く最善の方法だと私は確信しています。
本日のテーマは、一見すると身近な「動物」の話題に見えるかもしれません。
しかし、その実態は日本の法制度の矛盾、行政の責任転嫁、そして地域コミュニティの分断という、現代日本が抱える病理の縮図そのものです。
「かわいい」「かわいそう」という感情論のベールを剥ぎ取り、ドライかつ冷徹に社会構造を解剖しようと思います。
それでは、スタジオの田川さん。
後は頼みました、ヨロシク!
田川
ゲンカイモンさん、お任せ下さい。
テレビの前のあなた、こんにちは。
田川福三郎です。

田川 福三郎(たがわ ふくさぶろう)
ジャーナリスト歴60年。番組をまとめることが使命と信じる熱い男。事前にゲンカイモン、アシスタント大鷹、番組スタッフと入念に打ち合わせを行い、理論武装した上で番組へ臨んでいる。3人目のパネリストとして鋭く斬り込む。
すっかり恒例となりました。
1週間で最も熱い金曜のお昼、ヒルガチ。
今週も張り切ってまいりましょう。
テーマ発表とパネリスト紹介

田川
本日のテーマはこちら。
地域猫を法と倫理から考察する 動物愛護と迷惑行為の境界線
あなたは「地域猫」と聞いて、どのようなイメージをお持ちになりますか?
地域の住人に愛されるアイドル的な存在でしょうか。
それとも、騒音と糞尿被害をもたらす厄介者でしょうか。
本日は、この小さな命を通して、法学、政治学、倫理学の観点から日本社会の現在地を徹底的に議論します。
それでは、本日のパネリストをご紹介しましょう。
まずお一人目は、猫よりも人間側の問題だと主張する、猫田 愛理さんです。

地域猫肯定側:猫田 愛理(ねこた あいり)
・地域猫活動家
・動物福祉社会学、コミュニティ政策論
・埼都大学大学院 社会学研究科 博士課程修了
・著書『地域猫が紡ぐセーフティネット』他
猫田
猫の問題は人の問題です。
排除の論理ではなく、包摂の論理で解決策を提示します。
田川
よろしくお願いします。
続いて、あくまでも法令遵守を前提にしなければ社会は成り立たないと説く、犬飼 健さんです。

地域猫厳格管理・法令重視派:犬飼 健(いぬかい けん)
・北葛法科大学院、法務博士
・環境法、行政法、リスクマネジメント
・著書『慈悲という名の暴力、親切という名の余計なお世話』他
犬飼
感情論で法を歪めてはいけません。
公共の福祉と生態系保護の観点から、現実的な管理を提言します。
田川
お二人とも、日本を代表する論客であり、この分野における世界的権威です。
熱い議論を期待しています。
大鷹さん、論点の提示をお願いします。
大鷹
はい、アシスタントの大鷹です。
徹底的なリサーチに基づき、本日の論点を整理しました。

大鷹 純(おおたか じゅん)
徹底的なファクトチェックとパネリストとの出演交渉に奔走する影の立役者。田川、ゲンカイモンとは制作会議で激論を交わし合う同志。常に冷静沈着な仕事ぶりだが、実は誰よりもヒルガチを愛する熱血漢。初回放送 では感極まって号泣する純粋な一面を見せ、視聴者の心を鷲掴みにする。
本日のテーマの対立軸をフリップにまとめました。
- 地域コミュニティの再構築と防犯効果
- 殺処分ゼロへの人道的アプローチと命の教育
- 孤独な高齢者や社会的弱者へのケアとしての役割
- 動物愛護管理法に基づく愛護動物としての権利擁護
- TNR(不妊去勢手術)による長期的かつ平和的な個体数削減
- 伝染病媒介のリスクと公衆衛生上の脅威
- 地域住民間の深刻なトラブルと分断の助長
- 在来種(鳥類・小動物)への捕食圧と生態系破壊
- 無責任な餌やりを助長する法的責任の所在不明確さ
- 糞尿被害や鳴き声による生活環境の悪化と財産権の侵害
田川さん、以上です。
田川
ありがとうございます。
真っ向から対立する論点が出揃いました。
さっそくお2人に、昼から生でガチバトルしていただきます。
現代日本における地域猫問題の1丁目1番地

田川
改めまして猫田さん、犬飼さん、よろしくお願いします。
まず議論の口火を切るにあたり、なぜ今、この議論が必要なのかを確認したい。
そのためにポイントとなるのが、地域猫というワードかと思います。
昭和の時代、野良猫は「駆除」あるいは「放置」の対象だった。
しかし2025年の現在、都市部では「地域猫」というシステム化された管理手法が主流となりつつあります。
猫田さん、この変化は何を意味する?
猫田
こちらこそよろしくお願いします。
説明していただいた通り、1990年代後半に横浜市磯子区でモデルケースが生まれて以降、地域猫活動は全国に普及しました。
これは単なる動物愛護ではなく、過密化する都市において人間と動物がどう共存するかという、「都市政策」の一環として定着しています。
環境省も「住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドライン」の中で、地域猫活動を『地域住民の理解を得て、地域住民が主体となって管理する活動』と定義し、トラブル防止のための具体的な指針 を示しています。
環境省の統計でも、殺処分数は減少傾向にありますが、これは地域ボランティアの献身的なTNR(Trap Neuter Return)活動の賜物です。
飼い主のいない猫を捕獲(Trap)、去勢手術(Neuter)を施し、目印として耳先をカット(さくら耳)し元の場所に戻す(Return)活動を指す。
実際に環境省が発表している最新の統計(犬、猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況)を見ても、猫の殺処分数は10年前に比べて大幅に減少しており、官民協働の成果が数字として表れています
犬飼
本日はお世話になります。
定着したと言いますが、実態はトラブルの温床でしょう。
「動物愛護」の名のもとに、公共の場で餌をばら撒いても許されるという誤った認識が蔓延しています。
これは愛護ではなく単なる人間のエゴであり、法令遵守の意識が希薄なだけの話です。
動物園や牧場へ行ったときのことを思い出してください。
人間はキャベツやニンジンを、お金を払い購入してでも動物にあげますよね。
餌を与える行為が、お金を払う価値があると感じるほど楽しいのです。
つまり、猫のためではなく自分の欲望を満たしているだけなんです。
田川
テレビの前のあなたは、「フードあげてるだけなのに、犬飼さん、厳し過ぎる」と思うかもしれませんが、保健所への苦情は動物関連の相談が依然として上位を占めています。
これは猫だけでなく、「餌を与えて喜びを感じる人間」と、「それを不快に感じる人間」、すなわち、「人間対人間」の近隣問題でもある。
自分の生活を少しでも乱すものは許さないという、「不寛容の精神」が強すぎるとの印象を私は持ってしまうのだけれど……どうでしょう?
猫田
その通りです。
だからこそ、猫をきっかけに住民同士のコミュニケーションが必要なんです。
猫を排除すれば問題が解決するわけではありません。
隣人はそこにいるのですから。
犬飼
田川さん、それは自分の行動(餌やり)を棚に上げた、相手への責任転嫁でしょう。
「フードをあげただけでそんなに怒らなくても……。」と相手の不寛容を責めるのは、隣人がなぜ怒っているのかを想像する力が、決定的に不足しているとしか言いようがありません。
問題の原因を作り出しているのはルールを守らず、餌を与え続ける「自称愛猫家」なのですから。
もしも、保健所や市役所の職員が糞尿被害を受けている住民に対し「寛容であれ」と指導したなら、日本国憲法第13条、幸福を追求する権利の侵害に該当する可能性があります。
歴史学から見る排除と共生の変遷

田川
少し視点を過去に向けてみましょう。
かつて日本人は、猫とどのようにつきあってきたのか。
江戸時代には「放し飼い令」が出た記録があります。
猫田
はい、慶長7年(1602年)に京都で出されたおふれが有名です。
立てられた高札には「洛中の猫の綱を解き、放し飼いにすべし。同じく猫の売買を停止すべし」との文面が書かれていたそうです(正確な文言かは不明)。
江戸や京都など都市部を中心に人口が増えるのに伴い、ネズミによる農作物や養蚕(ようさん)への被害が増加しました。
当時、猫は繋いで飼われていましたが、鼠害(そがい)対策のために放し飼いを推奨するものでした。
推奨なので罰則や罰金はなかったと思われます。
このとき、迷い猫があまりに多くなり、首に名札を付けるようになったそうです。
このように歴史的経緯を調べると、私たち日本人は持ちつ持たれつのよい関係を築きながら、猫と共生してきたことがわかります。
そして、明治以降、西洋的な所有の概念が入ってきました。
飼い猫か野良猫かという二元論が常識になり、1990年中盤に地域猫の概念が誕生するまでそれが続いてきたのです。
犬飼
歴史的経緯はその通りです。
翻って現代社会を見渡すと、都市構造が180度劇的に変化しました。
土の地面が多かった江戸時代と、コンクリートに覆われた現代都市を同列に語るには無理があります。
かつて公衆衛生の観点から野良犬が駆逐されたように、管理されない動物は都市空間から排除されるのが近代化の必然な流れです。
田川
確かに、昭和30年代から40年代の高度経済成長期には公衆衛生が最優先されました。
そんな社会情勢の中、なぜ国は犬のように猫を徹底駆除しなかったのでしょうか?
ネズミ対策で温存したわけではないですよね?
猫田
はい、その可能性を含め理由は様々考えられます。
最大の要因は「狂犬病予防法」 の対象に猫を指定しなかったからです。
そのため、「見つけ次第捕まえて駆除する」という法的根拠が存在しません。
一方、犬の場合、「登録のない犬」「係留されていない(放し飼いの)犬」は、狂犬病予防員(保健所職員など)が捕獲、抑留しなければならないと義務付けられています。
狂犬病は人畜共通の感染症で感染するとほぼ100%の確率で発症し、回復することなく死に至る極めて危険なものです。
猫も狂犬病ウイルス(Rabies virus)を持つ個体が存在しますが、犬と異なり人を襲い噛み付くことはまずありません。
そのため、公衆衛生、保安上の緊急度が犬に比べ低いとの判断から、駆除の対象から外されたのでしょう。
加えて現在は「動物愛護管理法(動物の愛護及び管理に関する法律)」 の改正が進み、動物を殺傷すると厳しく罰せられます。
第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、五年以下の拘禁刑又は五百万円以下の罰金に処する。(原文ママ)
後で議論すると思いますが、行政の方針が「駆除」ではなく「殺処分ゼロ」へとシフトしているのも大きな要因です。
ただ、狂犬病の感染リスクが低いとはいえ繁殖力が強いので、「増えすぎ」という新たな問題が生まれました。
この「増えすぎ」を解決する方法が、冒頭で田川さんも重要なキーワードと紹介された、「地域猫」という概念なのです。
犬飼
TNR活動に尽力されている、地域猫活動家の方たちの努力は十分認識しています。
ただし、それが法的な責任の所在を結果的に曖昧にしている。
地域の猫ということは逆に言うと、個人的に責任を持つ人間がいないことを意味します。
この法的グレーゾーンが騒音や糞尿被害を受けている人からすると、「責任逃れ」の隠れ蓑にしか見えない。
歴史的情緒をいくら語ろうと、糞尿被害の当事者にはなんの慰めにもなりません。
解決するには訴訟という選択がありますが、前述の通り特定の飼い主がいないのでそれも難しい。
被害を被っている人たちは解消できない怒りで、とてもフラストレーションが溜まっています。
海外事例に見る動物福祉と社会責任の比較

※画像は様々な動物を保護しているイメージであることをご了承ください。ティアハイムが同じ敷地に異なる動物を一緒に収容することはありません。
田川
ここで海外の事例と比較してみましょう。
動物愛護先進国と言われるドイツなどでは、どのような運用がなされているのでしょうか。
猫田
はい、ドイツには「ティアハイム」 という民間運営の保護施設が充実しており、殺処分は原則行われません。
ドイツ語で Tier(動物)Heim(家)から動物の家という意味。犬猫だけでなく、畜産動物や爬虫類、鳥類など様々な動物を保護している。
しかし、これは狩猟法に基づくハンターによる駆除が裏にあることや、飼育税などの厳格な制度とセットです。
日本が目指すべきは、ティアハイムの精神(殺処分ゼロ)を取り入れつつ、日本独自の「地域で見守る」という共助の文化を活かすことです。
犬飼
猫田さん、そこが日本の甘いところなんですよ。
責任の所在が曖昧なグレーゾーンのままで、ティアハイムの精神を取り入れるなど、そんなことは絵に描いた餅です。
ドイツやアメリカでは、飼い主の管理者責任が極めて重い。
繰り返しになりますが、日本では地域猫の性質上、責任の所在が明確ではありません。
所有者責任がないために、公共の場で餌やりを躊躇することなく平気でやってしまう。
自分の行為が隣人の糞尿被害に繋がっているとは、夢にも思っていないのです。
無知なる善意ほど厄介なものはありません。
本人に悪意がないので罪の意識がありませんので。
ティアハイムを礼賛する前に、「公共の場での餌やりに対する罰則」や「所有者責任の明確化」などの法整備を進めるのが正しい順番です。
田川
なるほど、よくわかりました。
海外の事例を続けましょう。
アメリカではTNRが普及している一方、オーデュボン協会 (National Audubon Society)などの野鳥保護団体との対立が激しいと聞きます。
後ほど私たちも捕食者としての猫を議論しますが、猫田さん、このアメリカでの対立、どのように分析しますか?
猫田
はい、他人ごとではないと感じています。
TNR活動家と、オーデュボン協会や American Bird Conservancy(ABC:アメリカ野鳥保護協会 )などの自然保護団体との対立は非常に深刻で、しばしば「Cat Wars(猫戦争)」と呼ばれるほど激しい論争になっています。
両者の主張は「猫の命」対「野生動物の保全と生物多様性」という異なる倫理観の衝突であるため、完全な和解へと至るのはとても困難でしょう。
とはいえ、指をくわえて傍観しているわけでなく、いくつかの妥協点や解決へのアプローチを模索しています。
例えば、オレゴン州ポートランドと限定的ではありますが、地元のオーデュボン協会(Portland Audubon)と Feral Cat Coalition of Oregon(FCCO:猫保護団体)が、対立ではなく協力関係を築いている例として知られています。
「猫も鳥も安全に(Safe Cats, Safe Birds)」というスローガンのもと、双方が「飼い猫の完全室内飼育」や「キャティオ(Catio:猫専用の屋外囲い)」の普及啓発を共同で行っています。
共生の道はあるのです。
犬飼
それはとてもレアなケースです。
例外的事例をもちだして共生可能とは言い過ぎですよ。
ハワイやフロリダの海岸など、希少な海鳥の営巣地付近にあるTNRコロニー(猫の集団)に対して、連邦法違反として撤去を求める訴訟が起きています。
「できるだけ猫は室内へ」「希少動物の生息地からは猫を排除」という点では合意形成ができつつありますが、「すでに都市部にいる野良猫をどうするか」については、依然としてTNR推進派(殺処分ゼロ)と野鳥保護派(安楽死を含む即時排除)の間で溝が埋まっていないのが現実です。
猫はモノか命か 法的地位のねじれ

田川
ここから法学的な核心部分に入ります。
民法上、動物は「動産(モノ)」ですが、動物愛護管理法では「命あるもの」と定義されています。
この矛盾が現場を混乱させている。
犬飼
その通りです。
所有者不明猫、いわゆる野良猫は「無主物」として扱われます。
しかし、継続的に給餌した場合は「占有」とみなされ、給餌した人が飼い主としての法的責任(損害賠償責任)を負うという判例 が出ています。
きゅうじ:鳥、犬、猫、家畜など、自分で狩猟できない生き物に餌を与えること
例えば、神戸地方裁判所の判決では給餌し続けた者に対し、糞尿被害を受けた近隣住民への損害賠償支払いが命じられました。
給餌の継続と被害の因果関係が認められ、たとえ善意でも管理責任が問われるという画期的判断です。
これは、無責任な給餌への一定の抑止力になっています。
猫田
その判例解釈には注意が必要です。
適切な管理(不妊去勢、トイレの設置、餌の片付け)を行っている地域猫活動については、違法性阻却事由を認める、あるいは責任を限定的に解釈する傾向があります。
いほうせいそきゃくじゆう:犯罪の構成要件に当てはまる行為でも、特別の事情により違法性を否定し犯罪の成立を妨げる事由
法は「命あるもの」としての動物愛護へシフトしており、単なる管理対象の「モノ」ではなくなっているのです。
田川
とはいえ、猫田さん、京都市や和歌山県などでは、「餌やり禁止条例」とも解釈できる条例が制定され議論が巻き起こりました。
京都市の条例(京都市動物との共生に向けたマナー等に関する条例)は、給餌そのものではなく「不適切な給餌により生活環境を損なうこと」を禁止している。
これは、住民の生活環境の保全と動物愛護の両立を目指した、行政の苦肉の策とも言えます。
これは憲法が保障する「幸福追求権」の侵害にあたらないのでしょうか?
犬飼
あたらないと思います。
給餌という行為が幸福を追求する絶対的要件に該当しないと考えられるからです。
加えて、田川さんがおっしゃたように給餌するのを禁じていません。
9条には以下のようにあります。
(不適切な給餌の禁止等) 第9条 市民等は,所有者等のない動物に対して給餌を行うときは,適切な方法により行うこととし,周辺の住民の生活環境に悪影響を及ぼすような給餌を行ってはならない。
2 市長は,前項の動物に対する給餌について,必要があると認めるときは,適切な給餌の方法に関し市民等が遵守すべき基準を定めることができる。(原文ママ)
違反者には50,000円以下の過料に処すると14条にあります。
公共の福祉の観点から、他者の生活環境を害する自由が認められないのは当然です。
逆に言うと、以下のように隣人として至極当たり前のことを守れば、条例違反で訴えられることはありません。
これは憲法を持ち出すまでもない、社会人としての最低限のマナーと公衆衛生の常識です。
猫田
犬飼さん、マナーとおっしゃいますが、運用次第では善良なボランティア活動を萎縮させる恐れがあると思いませんか?
9条の2には「適切な給餌の方法に関し市民等が遵守すべき基準を定めることができる」とあるだけで、肝心な「適切な方法」について具体的なことが書かれていません。
- マナー
- 悪影響
- 不適切な給餌
- 適切な給餌の方法
これらの文言はいずれも抽象的であり、隣人の主張次第で条例違反に該当してしまう恐れがあります。
猫嫌いな住民の声が大きければ、命を繋ぐ行為さえ「犯罪扱い」されかねない。
法は弱者(猫と地域猫活動家)を保護するためにあるべきです。
多様な視点 スタジオゲストへのインタビュー

田川
ここで、様々なバックグラウンドを持つスタジオゲストの方々にお話を伺います。
若い方から聞こうかな。
まず、佐藤さん。
ひきこもり生活の中で、猫との関わりがあったそうですね。

佐藤
はい。社会と断絶していた時、庭に来る野良猫だけが唯一の命でした。言葉は通じませんが、ご飯を食べてくれるだけで自分が社会の役に立っていると感じられました。あの猫がいなければ、私は今ここにいなかったかもせれません。
田川
なるほど、セーフティネットとしての側面ですね。
一方で、高橋弁護士は近隣トラブルの現場を多く見てこられました。

高橋
佐藤さんの話はよくわかりますが、現実はもっと殺伐としています。私の依頼人は、隣家の餌やりによる悪臭でうつ病を発症しました。猫を守りたいという「善意」が、隣人を精神的に追い詰める「凶器」になることもあります。猫に罪はありませんが、被害者にとっては生活を脅かす憎い存在になってしまうのです。
田川
おっしゃる通り猫に罪はない。
恨まれたらいい迷惑だ。
元最高裁判事の大野さん、法はこの対立を裁けるのでしょうか。

大野
法は「社会の最低限の倫理」を定めたものに過ぎません。民事訴訟で白黒つけることは可能ですが、判決が出た後も隣人関係は続きます。法的な解決よりも、地域社会での「調整」機能が失われていることの方が深刻だと感じます。かつての町内会のような調整弁が機能不全に陥っています。
田川
なるほど。
最後にイタリアから起こしのジャーナリスト、ピエールさん。
海外からの視点でどう感じますか。

ピエール
日本は清潔に拘り過ぎと感じます。私の生まれ故郷ヴェネツィア(ベネチア)では、街の汚れも含めて生活の一部です。もちろん衛生は大事ですが、少しの異物も許さない「ゼロリスク信仰」が、猫だけでなく人間同士の関係をギスギスさせているのではないでしょうか。もっとおおらかにいきましょう。
田川
みなさん、貴重なご意見ありがとうございます。
ピエールさんの「おおらかにいきましょう」は、騒音や糞尿被害にあわれている人には難しいかもしれないね。
佐藤さんの「セーフティネット」という視点と、高橋さんの「善意の凶器」になり得る現実。
このギャップを埋めているのが地域猫活動家なのでしょう。
殺処分ゼロの政治的欺瞞と行政の限界

田川
小池百合子都知事が「ペット殺処分ゼロ」を公約(2016年の都知事選挙)にするなど、政治的スローガンとしてアピールしている。
ところが、実際に現場に携わる人から、悲鳴に近い苦情が出ていると聞きます。
現場では何が起きているのか?
犬飼
殺処分ゼロは有権者受けを狙った選挙対策でしょう。
自治体(動物愛護相談センター)は動物愛護団体との連携を強化し、多くの動物の譲渡先を確保してきました。
これにより、保護団体やボランティアへの負担が増大しているという指摘があります。
老犬や病気の動物、問題行動のある動物など、譲渡が困難なケースの受け入れ先探しやケアに現場は苦慮しています。
そして、殺処分ゼロを達成するために、自治体が引き取りを拒否する事例が増えているのが現実です。
その結果、何が起きているか。
地域に遺棄されたり、多頭飼育崩壊現場で放置されたりする「闇に消える命」が増えた。
行政による処分ではないので、「闇に消える命」は殺処分の数にカウントされません。
これは単なる目標達成ありきの、データ上の数字合わせです。
猫田
その点はまったく同感です。
出口(殺処分)を塞ぐだけで、入口(繁殖制限)への予算と人員が圧倒的に足りない。
行政は「殺処分の数」という数字の辻褄合わせに逃げず、去勢手術への助成金をもっと大幅に増額すべきです。
これは将来の行政負担を減らすための適正な投資であるとともに、現場で奔走する人たちの負担軽減に繋がります。
田川
ボランティアへの「行政の下請け化」という指摘もある。
本来公務員がやるべき業務を、善意の市民に丸投げしているのではないのか。
犬飼
確かに丸投げという側面は否定できませんが、行政には限界があります。
前半で猫田さんが解説しましたが、猫を捕獲する根拠となる法律がないので、公務員が業務としてTNR活動するのは不可能です。
だからこそ地域猫というシステムで住民に委ねているわけですが、それが結果的に活動家への過重負担となっているのは否めません。
猫田
田川さん、下請けの扱いすら受けていないのが現実です。
国からフード代や手術費が支給される仕組みは、原則としてありません(助成金が出る自治体はある)。
お金を出さない元請け業者がいたら社会では犯罪ですよ!
そのため、自費で数十万円の手術費を負担しているボランティアも珍しくありません。
これを「美談」にしてしまうと国を甘やかすことになる。
猫の管理は「公衆衛生」という公共サービスであることを、国レベルで認識する必要があります。
すなわち、去勢手術やフードなど実費用がかかるものに、国がお金を出すべきなのです。
地域コミュニティの鏡としての猫問題

田川
先ほど大野元判事がおっしゃったようにこれは猫の問題であると同時に、地域コミュニティの住人たちの人間関係の問題でもあります。
猫田さん、この点についてはどうお考えですか?
猫田
その通りです。
猫のトラブルが起きる地域は、往々にして人間関係が希薄な傾向が強い。
逆に、地域猫活動が成功している地域では、猫を共通の話題として高齢者と若者の間で交流が生まれています。
猫は地域社会の「潤滑油」になり得るポテンシャルを持っているのです。
犬飼
何事も表があれば裏がある。
成功例だけでなく負の面も同時に紹介しないと、猫田さん、視聴者に誤解を与えますよ。
実際には、猫を巡って監視カメラを設置し合い、怒号が飛び交う事例すらある。
皮肉なことに猫が顕在化させたのは「地域の絆」ではなく、心の中に潜伏していた「隣人に対する不信感」です。
「話が通じない隣人」への憎悪が、猫という代理戦争を通じて噴出している。
猫にとっては、はなはだ迷惑な話です。
田川
ジェントリフィケーション(地域の高級化)の影響も無視できません。
タワーマンションが林立するような再開発地域では、野良猫の居場所は完全に失われていく。
この流れは止められないのか?
猫田
きれいな街づくりの中で、ノイズとなる存在が浄化されていく。
それは猫だけでなく、ホームレスや外国人、延いては墓地や火葬場、電線の鉄塔などの排除の論理と地続きです。
自分が嫌いなものは排除する、景観を壊すものは断じて認めない、管理されたきれいなものしか許容しない。
こんな社会はいびつな構造だと言わざるを得ません。
犬飼
猫田さん、その意見には説得力がありませんな。
多くの住民は「安全で清潔な住みよい街」を望んで高い対価を払い、その場所を選んで生活している。
快適さの追求を誰が否定できると言うのですか。
田川さんの質問には、「流れは止められない」と答えるしかない。
猫には気の毒ですが、都心に野良としての居場所はないでしょう。
ただし、タワマンに住む富裕層は家猫として飼う可能性が十分にあります。
環境倫理学、生態学から問う侵略者としての猫

田川
最後に、生態系の観点から議論を深めたい。
奄美大島や小笠原諸島では、希少種を守るために猫(ノネコ)の捕獲、排除が進められています。
環境省などが策定した「奄美大島における生態系保全のためのノネコ管理計画」 では、アマミノクロウサギなどの希少種を守るため、森林域の猫を捕獲し譲渡、または殺処分を含めた管理を行う方針が明記されています。
特別天然記念物、奄美大島と徳之島だけに生息する日本固有のウサギ
これは「生物多様性基本法 」 に基づく、国としての厳しい決断の事例です。
都市部においても、猫は生態系にとって「侵略者」なのでしょうか。
犬飼
間違いなく侵略的外来種です。
環境省も猫を「世界の侵略的外来種ワースト100」 の一つと認識しています。
国際自然保護連合(IUCN:International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)が定めた「世界の侵略的外来種ワースト100」 において、ネコ(Felis catus)は確かにリストアップされています。
絶滅危惧種の評価(レッドリスト作成)や国際条約への科学的助言、政策提言などを行い、持続可能な社会の実現を目指す国際機関
特に島嶼部(とうしょぶ:大小の島々が集まっている地域)などの閉鎖的な生態系において、在来種を絶滅させる要因として国際的に懸念されている事実は無視できません。
都市部でも、猫による野鳥やトカゲなどの捕食は深刻です。
「猫は守るが、猫が殺す小動物の命は無視する」というのは、著しいダブルスタンダードです。
生物多様性の観点からも看過できません。
猫田
都市部はすでに人間によって改変され尽くした環境です。
そこで生きる猫を、原生林のノネコと同列に扱うのはナンセンスです。
もちろん希少種保護は重要です。
ただし、都市部の猫は、ネズミなどの害獣駆除の役割を担ってきた実績があるのは前半でも触れました。
犬飼さん、あなたもその辺りの歴史には詳しいはずです。
猫は今のままで生態系の一部なんです。
田川
猫田さんは生態系の一部と言うけれど、屋外での生活は猫にとり本当に幸福なのでしょうか?
犬飼
そこなんですよ、田川さん、TNRの弱点は!
活動家の人たちの努力には敬意を払いますが、それが果たして猫たちの幸せに繋がっているのか。
去勢するので必然的に一世代限りの命です。
それは、自分の子を産み育て家族を作り、楽しく暮らす自由を奪う行為ともいえる。
去勢手術後、耳をV字にカットされ、里親に譲渡されることなく野に放たれる。
「今日からはさくらねこだよ、自由になれてよかったね」
飼い主のいない猫に不妊手術を実施し、目印として耳にV字の切れ込みを入れた猫。オスは右、メスは左をカットして再捕獲を防止する。カットされた耳の形が桜の花びらに似ていることからこう呼ばれる。
このような振る舞いは人間のエゴではないのか。
視聴者の方たちにも今一度、よぉーく考えていただきたいと思います。
交通事故、感染症、虐待のリスクに晒され続ける外猫の平均寿命は、4年から5年と言われています。
真の愛護とは完全屋内飼育を徹底することであり、外に放すことではないと私は思います。
TNRをただちにやめろとは言いませんが、野良猫をゼロにするまでの「暫定的な対策」であるべきです。
猫田
犬飼さんがおっしゃることはその通りです。
理想は完全屋内飼育であることに異論はありません。
ただし、今ここにいる数百万頭の野良猫すべてを、収容する施設とお金がありません。
元の場所に戻すよりも、飼い猫として暮らした方が幸せなのは、活動家の方たちは当然わかっています。
保護施設もいっぱい、個人的にもこれ以上引き取れない、すべての猫を屋内飼育にするのは物理的に無理なんです。
視聴者の方たちには、活動家はエゴなどではなく、断腸の思いで外に放していることを理解していただきたいです。
TNRは現状で実行できる、最善ではないが唯一の人道的手段と私は信じます!
田川
残り時間がわずかになりました。
平行線をたどるように、お2人の考えは交われないのでしょうか?
最後に一言ずつお願いします。
猫田さんから。
猫田
犬飼さんがおっしゃる、「糞尿被害にあわれている方の苦しみ」や「生態系への懸念」は、早急に解決すべき課題だと認識を新たにしました。
「かわいい子たちを救いたい」「かわいそうな環境を変えてあげたい」という感情を大事にしながらも、科学的、法的な根拠を持って、地域住民に説明責任を果たしていく必要があると痛感しています。
そして、手術やフード代などの負担に対する助成を、これからも国へ訴えていきたいと思います。
犬飼さんとの議論を通じ、多くの新たな気付きが得られました。
田川さん、ヒルガチにお呼びいただき感謝いたします。
ありがとうございました。
犬飼
田川さん、私の考えが猫田さんと平行線だなどと、1ミリも思っていません。
2人が目指す最終ゴールが、「完全屋内飼育」で一致しているのを確認できたのですから。
さらに、ご指摘された「行政の不作為(活動家への過重負担、助成金不足など)」や「セーフティネットとしての機能」について、法制度の不備として浮き彫りにできました。
具体的には、「猫たちの所有者責任の明確化」と「公共の場での給餌に対する罰則」に関する規定を、条令ではなく恒久法としての成立を国へ訴えていきたいと思います。
そして、助成金の増額を私も微力ながら訴えていきます。
法整備が猫と人間が共生することに繋がると、本日の議論を通じて確信いたしました。
大変有意義な時間を過ごさせていただき、誠にありがとうございました。
田川
お2人の主張の根底にあるのは「猫の命を守る責任」と、「猫が生きる地域で暮らす人たちの幸せ」の両立にあると感じています。
こちらこそお2人の熱い討論へ感謝いたします。
本日も昼から生でガチバトルしていただきありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。
哲学者ソクラテスの私ならこうする!

本コーナーは哲学的視点からテーマを思考することが目的です。オカルトや心霊現象の実在を主張するものではありません。また、否定するものでもありません。日本固有の民俗信仰であるイタコを通じ、哲学を身近に感じていただくための演出とご理解下さい。
田川
それでは恒例になりました、あのコーナーに参りましょう。
ヒルガチの看板娘、イタコの恐子さーん!
恐子
はいはい、田川さん。
今日はまた随分と難しい話をしてたねぇ。

イタコの恐子
御年87歳、イタコ歴70年、現役のイタコ。ゲンカイモンが1ヶ月かけて出演交渉の末口説き落とす。普段の柔らかい南部弁と、憑依時の威厳ある口調との「ギャップ萌え」がたまらない。ずだ袋に忍ばせるおやつの南部せんべいをいつもスタッフにおすそ分けしてくれる、愛と知性に溢れたヒルガチ自慢の看板娘。
八戸の冬は寒いから、外の猫っ子たちがどうしてるか気になっちまったよ。
せんべい汁でも食わせてやりたいけど、それも「無責任な餌やり」って言われちまうのかねぇ。
田川
恐子さん、その温かい気持ちは大事です。
でも、道路や公園などの公共の場ではやらない方がいいですよ。
それでは、ヒルガチ名誉顧問、ソクラテスを呼んでいただけますか。
恐子
わがった。
法か慈悲か、迷える現代人のために、名誉顧問を呼んでくるべ。
(一瞬の静寂の後、恐子の雰囲気が一変する)
ソクラテス
田川よ、アテナイの広場ではなく、このヒルガチで問おう。
汝らは「猫の問題」について熱心に語っていたが、「人間の徳(アレテー)」についての議論にしか聞こえなかったぞ。

ソクラテス (紀元前469年頃 – 紀元前399年)
古代ギリシアの哲学者。西洋哲学の祖とされる人物。「無知の知」を自覚し、街頭での対話(問答法) を通じて人々に善や正義を問い続け、魂 (プシュケー) の重要性を説く。著作は残さず、その思想は弟子のプラトンらが伝えた。若者を惑わせた等の罪に問われたが、「悪法もまた法なり」と死刑判決を受け入れ70歳でその生涯を閉じる。
田川
おぉー、ソクラテスよ!
私たちは法と倫理の狭間で、猫をどう扱うべきか悩んでいます。
あなたなら、この問題をどう解きますか?
ソクラテス
ふむ。
汝らは「被害」や「幸福」という言葉を盛んに使っていたな。
ならば問おう。
猫が糞をすることは「悪」なのか?
それとも、それを見て憤る人間の心が「悪」なのか?
自然の営みそのものに善悪はない。
善悪の色をつけるのは、常に汝ら人間の「尺度」だ。
田川
人間の尺度の問題……ですか。
しかし、現実に生活環境が脅かされている人々がいます。
ソクラテス
うむ。
だからこそ問わねばならん。
ヒルガチ名誉顧問ソクラテスの私ならこうする!
「幸福」とは、弱き者(猫)を排除して得られる安寧のことか?
それとも、不都合な存在(猫や隣人)と共に生きるための「知恵」を絞り出すことか?
汝らの法がもし「慈悲」を禁じるものだとしたら、その法こそが「不正義」ではないのか。
法は社会を円滑に動かすための道具に過ぎん。
「かわいそうだから餌をやる」という無知な慈悲も、「迷惑だから排除する」という傲慢な正義も、どちらも「吟味」が足りんのだ。
真の解決は、餌をやる者が掃除をする労苦を引き受け、嫌う者が少しの寛容さを持ち寄る、その「魂の配慮」の中にしか存在せんのだ。
地域猫の活動家に頼るな。
自らの魂に問え。
「弱い命に対しどう振る舞うのが最も善き人間であるか」と。
田川
活動家に頼る前に、自分の魂のあり方を問え……と。
行政を批判していたが、私たち自身が活動家に面倒なことを丸投げしていたのか……。
うーん、ソクラテスから今日も気付きをいただいた。
恐子
(素に戻る)
あー、肩凝った。
田川さん、名誉顧問はなんて?
「掃除せぇ」って聞こえた気がするけど、それも解決策の1つなのかもしれねぇな。
霧晴れて見えぬ道ここに現れん!
(テーマの問題が解決し進むべき道が開けてきた。恐子の決めゼリフ)
田川
恐子さん、ソクラテス、ありがとう。
「吟味なき慈悲」「吟味なき正義」、どちらも危うい。
法による規制、ボランティアによる情熱、どちらか一方だけでこの問題は解決しません。
ソクラテスが示したように、私たち一人ひとりが「善き市民」としてどう振る舞うか、その行動が試されています。
活動家に頼ることなく、汗をかいて共生の仕組みを共に作る。
このプロセスこそが最適解への道なのかもしれません。
本日はここまで。
また来週の金曜日にお会いしましょう。
【参考文献リスト】
- 環境省自然環境局 「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況」 https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/statistics/dog-cat.html
- 環境省 「希少種とノネコ・ノラネコ」
https://www.env.go.jp/nature/kisho/noneko.html - 環境省:住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドラインhttps://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/pamph/h2202.pdf
- 京都市情報館:京都市動物との共生に向けたマナー等に関する条例についてhttps://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/page/0000181226.html
- 動物の愛護及び管理に関する法律
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=348AC1000000105 - 横浜市 「地域猫活動のすすめ」
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/sumai-kurashi/pet-dobutsu/aigo/kyodo/chiikinekoshien.html
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/sumai-kurashi/pet-dobutsu/aigo/chiikineko/chiikineko.html
【ゲンカイモン総括】
本日は猫という身近なテーマから、日本社会の深層を議論しました。
クリティカルシンキングとは単に批判することではなく、対立する視点を統合しより高い次元の解決策を見出すプロセスです。
今日の3人の討論を聞いていて、途中である事実に気付きました。
テーマは地域猫ですが、問題の本質は近隣同士の人間関係ではないか……と。
もっと突き詰めれば、「人間の存在とは何か」「命とは何か」という、哲学的問いに行き着く。
本日のテーマをプロデュースするにあたり、Web上で様々検索し情報収集しました。
その中には思わず目を背け、バッテンマークをタップし、閉じてしまいたくなるサイトがたくさんヒットしました。
猫に対する虐待や虐殺のニュースです。
ある容疑者は毒物を混入させたフードを撒き、無差別に猫たちを殺していきました。
その数、45匹。
職務質問で「猫の首を絞めて駐車場にたたきつけた」ことも供述しました。
そして、家で飼っている自分の猫が心配だから、「母親に餌をやるよう伝えて」と捜査員に話したそうです。
フランスのある地方では1カ月足らずで、200匹以上の猫が毒物で殺された。
一方で命を懸けて動物を救い出すニュースサイトがたくさんヒットする。
なんという存在なのでしょうか、人間……て。
悪魔(猫を殺す)と天使(飼い猫を心配する)が1人の人間の中に共存している。
私は知っています。
この容疑者のように怒りを抑えられず、感情のまま行動してしまうのも人間だと。
私も例外ではない。
私のなかに悪魔と天使が同時に存在する。
ここ最近の私を振り返ると、ようやく優しい心が怒りの感情を抑えられるようになってきた気がします。
今年(2025年)還暦を迎えたからかもしれません。
そんな、人として丸くなりかけている私でも、虐殺のニュースを読んだとき、平常心を保つのはとても困難なことでした。
私にできるのは天上にあると言われる虹の橋で、死んでしまった猫たちが仲間たちと共に楽しく幸せに暮らしているのを願うことだけです。
ソクラテスの哲学的な問いは、膠着した問題を異なる視点から俯瞰し、滞った現状に風穴を開ける力を持っています。
私たち人間がもう少しだけ隣人に寛容で、自分に対し謙虚になれることを願ってやみません。
人や動物、植物に対し優しくなれるよう、そして、謙虚な気持ちが持てるよう、私はこれからも精進してまいります。
本日もご視聴下さりありがとうございました。
来週の金曜お昼にまたお会いしましょう。
ごきげんよう。
【予告】
来週は「憲法改正の是非」を放送予定、どうぞお楽しみに。
【より深くヒルガチを楽しむために】
初めて訪問された方は、「ヒルガチの歩き方」をご覧ください。
【クリティカルシンキングを理解する】
クリティカルシンキングについて、「クリティカルシンキングを極める」で解説しています。
【ゲンカイモン運営哲学】
なぜ、クリティカルシンキングスキルの鍛錬に討論が有効なのか? この答えは「ゲンカイモンの挑戦」で詳述しています。
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